いい加減な助言・対応が多い
母は人の質問に対して、ものすごくいい加減な返答をすることが多いです。
例えば、亡くなった父の三回忌でのこと。
親戚15人くらいの会食で簡単に済ませたので、どんな服装で行ったらいいのか曖昧だったのは確かです。
それでも普通は喪服か地味目のスーツでしょうけど、私の兄弟は一応母に相談しておこうと思ったらしいのです。(やめておけばいいのに…)
すると母は「破れた服じゃないなら何でもいいよ、みんな普段着で来るよ」と言ったらしいのです…
誰にも「普段着で来てください」なんていう案内はしていないのに、です。
母の言葉を真に受けた兄弟は、当日、まさかの「普段着」で登場。ジーンズ&Tシャツです。
他は全員喪服でした。小学生の子供でさえ学生服かスーツを着ています。
親の法事に普段着で来てしまう兄弟もどうかと思いますが、わざわざ相談してきた子供に対して、なぜそんないい加減な返答をするのか?
自分の子供に大恥をかかせたにも関わらず、母本人は気にもしていない様子。
たぶん母の頭の中はこんな感じだと思います。
「普段着でいいのに、皆なんで喪服なんて着てくるの?」
なにせ本人も適当な服装ですから、気にしないのも当然なんでしょう。夫の法事に、上は黒っぽいセーター、下はジャージ素材の黒のパンツでしたから…。
色が黒っぽければなんでも良いと思っている人ですから、そんな普段着のような格好でも平気なんです。
ちゃんと喪服は持っているんですよ。でも着ないんです。着物を着ろと言っているわけではないんです。喪服を普通になぜ着れない?
こんなことが子供の頃から山のようにありました。母親がこんな感じなので、子供は行く先々で恥をかきます。
お葬式なのに子供に赤い服を着せるとか、デパートで値引き交渉を始めるとか、子供の習い事の先生への挨拶ができないとか(「いつもお世話になっています」的なことです)…
「常識」がない
こういうことをしてしまうのは、相手の立場になって考えることや状況判断ができないこと、そして「こうしたらこうなる」という想像力がないことが原因だろうと思っています。
つまり「常識的な行動」が何なのかがわからず、その上したくないことはしないからです。
世の中、円滑に生きていくためにはこうしておけば安全だよってこと、たくさんありますよね。いわゆる「常識」ってものです。
それをすることが好きか嫌いかなんて関係なく、とりあえずそうしておく。
母はそういうことが、ほとんどできない人です。
「やりたくない」
「そんなことしなくていい」
母の勝手な解釈で、どんどん「常識」からズレていきます。今ではずいぶんと遠くまで来てしまっているのはないでしょうか。
「常識」は応用力が問われる
「常識」って、本当はものすごく難しいです。
「人を不快にさせない」という大枠だけわかっていたら、後はいちいち言わなくてもできるだろう? というものだからです。非常に応用力が問われます。
地域や立場によっても「常識」は微妙に変わってきます。相手の常識に合わせる必要もあるので、まずは相手の状況を判断することが大事でしょう。
こういう事って、とても高度な情報処理能力が必要なんだろうと思います。たいていの人は普通に、時には失敗から学びながら、徐々に洗礼させていくのだと思います。
ところが応用力がなく状況判断が苦手な人には、こういう一連の作業はとても無理です。
自覚があれば何とかなるが
母はきっと子供の頃から、あれができない、これができないと批判ばかりされてきたんだろうと思います。
気の毒だとは思いますが、もうそんなことは思わないようにしています。
母を気の毒だと思うことは、自分が母を理解し、母に合わせなくてはならなくなります。
母に自覚があればこちらの負担も減るのですが、自覚のない人・認めない人に対しては対応が難しく、かかるストレスが大きすぎます。
気を遣う場所に行くときは、事前に服装や対応の仕方などを簡単に伝えることもありますが、そういうことが続くと「細かいことをうるさく言う」とか「バカにしている」などと癇癪を起されることもあります。
そういえば母は父にも、同じことを言っていたなぁと思い出します。
「ごちゃごちゃとうるさい」って。
何十年も言われ続けているのに、自分の現実に何も気が付かないって、もう本当に、あきれるばかりです。
いつも同じことばかり言われるなぁ、自分に問題があるのかな? と思わないのでしょうか?
あの人の頭の中だけは一体どうなっているのか、本当に理解できません。