子どもを否定する母
これまでにも何度も書いているが(最近こればっかりだ…)、毒親に対して最も恨みに思っているのは「否定され続けたこと」だ。
自分を擁護するために、娘を否定し続けた毒母。
たぶん本人に「否定した」というはっきりとした自覚はないと思う。
しかし事実として、私は否定され続けたと感じている。
私と母は何もかもが正反対だった。
正反対の娘が、まるで自分を否定しているように感じたのだろうか?
「何故そんなことをするんだ!」
「そんな言い方はおかしい!」と幼いころから言われ続け、おまけに無自覚な嫌味の連発。
当然「こうしたらいいよ」というアドバイスは全くなし。
教育方針なんて微塵もない。
気に入らないことがあれば鬼の形相で否定しておしまいだ。
自分の気分次第で怒り出したり優しくしたり、情緒不安定もいいとこだ。
だから子供としては、何をどうしていいか分からずにただオロオロするだけなんだよ。
しかもその「否定」が社会的には全く正しくなかったと分かった時の私の絶望感。
一体これまでの悩みは何だったのかと、悔しさと虚しさと心が壊れてしまいそうだった。
私の言ったこと、やったことは、社会の常識に照らし合わせれば間違いではなかった。
間違っていたのは母の方だった。
反社会的だったのは母の方だったのだ。
その悔しさが、私の恨みの根源になっている。
世の中を否定する母
私に対してだけではなく、
毒母は、世の中で「良い」とされている事のほどんどを否定して生きている。
社会や学校のルールに従うこと、
世の中の習慣を守ること、
勉強ができることや頭が良いこと、
真面目にコツコツ努力すること
計画性を持つこと
先のことを考えて行動すること
他人を労わること、優しいこと、
すべて自分ができないことばかりだ。
人は誰でも自分の自尊心を守るために、現実と自分の気持ちに折り合いを付けて生きている。自分に都合の良いように「否定」して、現実を見ないようにすることもある。
でもだからと言って、できている人を否定してもいいという事にはならない。
その人が自分よりも「ある部分では優秀なこと」を認めないと、おかしなことになっていくんだよ。
母はそれができなかった。
もう何度も書いているが、
学校で教えられる「世の中の常識」「世の中の価値観」と母のそれとがあまりに違うため、私はいつも混乱していた。
学校で教えられたことを母に話すと、
「その通りにせんでいい」「学校の先生の言うことなんて聞かんでいい」と言う。
鼻で笑うこともあった。
私は家では母の考え通り、学校では学校の通りと、
長い間、二重の価値観で生活をしていた。
親子の特質が違う悲劇
もし私が母と同じような特質を持った人間だったら、母は私にとって「唯一の理解者」になっていたかもしれない。
母は人を「導く」ことはできないので、親子で奈落の底に落ちたかもしれないけど、少なくとも私と母の関係よりはましだっただろう。
でも現実はその真逆。
母の反社会的な考えが大っ嫌いだったが、母に気に入られるためには「そうだね、その通りかもね」と言うしかなかった。
私は母からと、自分自身からと、二重に否定されていたんだな。
自分に嘘をつき続けると、段々本当の自分がわからなくなっていく。
そして悲しいことに、「嘘の自分」に染まっていくんだ。
私は40歳くらいまでの自分が大っ嫌いだ。
それは、母の呪縛のなかで生まれた「嘘に染まった自分」だったからだ。
嘘の自分が自分の中に残ったまま子どもを育てたことを、今でも強く後悔している。
異常性の破壊力
どんな親子でも合わない部分はあると思う。
でもそれでも大きな問題にならずに済んでいるのは、親子ともに「異常性」がないからだと思う。
どちらかに何らかの「異常性」があると、「毒親」になり「異常に育てにくい子」になるんだと思う。
異常性の破壊力はすさまじい。
関わった人間を心底ヘトヘトにさせ、人格をゆがめてしまう魔の力がある。
関わらないのが一番の得策だが、
それが親や子になってしまった時は諦めるしかないのか。
世の中は不条理でいっぱいだな…