毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

「親になる自由」について考える

軽視される子どもの権利

 

すべての人には、子供を産み育てる自由が保障されています。どんな理由をもってしても、断種や堕胎を強制することがあってはならないと理解しています。

 

しかし、です。

 

大人に保障されている自由に比べて、子どもの「当たり前に育てられる」という権利が軽視されているのはなぜでしょうか。

 

子どもの権利条約」に日本は批准していますが、「子供が訳の分からない親に苦しんでいる」くらいのことでは大人は誰も動いてはくれません。

 

目に余るような虐待はなく、子供をとりあえず育てているのならそれでいいじゃないかと捨て置かれます。

 

「結局、大人は大人の味方しかしないんだ」

それが幼い頃の私の思いでした。

 

母に対して「厄介な性格だ」という認識を持っていた親戚や祖父母も、私たち子供のために動いてくれる人はいませんでした。

 

父母の離婚騒ぎの時も、子供にとって最も良いことは何か、そんなことを考えてくれる人もいませんでした。

 

大人は同じ大人の味方をした方が断然得です。恨まれることもないし、面倒なことを引き受けることもないからです。

 

物言わぬ子どもを見捨てたほうが、大人にとっては得だし楽なんです。

 

というか、そもそも子どもの苦しさに、誰も気が付いてない? かも…

 

何にでも適正はある

 

どんなことにでも「適正」ってあると思います。

 

人ってそれが何となくわかっていて、「○○したくないなぁ」という気持ちとして現れるんじゃないかと思います。

 

母が若い頃から、「結婚したくないなぁ」「子ども、欲しくないなぁ」と思っていたのも、苦手意識があったからかもしれません。

 

じゃあなぜ結婚して子供を持ったのか?というと、それは「見栄」です。

 

昔は結婚しない人は、男女ともに変人扱いされた時代です。

 

「人は結婚して、子供を持って一人前」

そんなばかばかしいことが普通に言われてた時代。

 

負けたくなかったんでしょうね。世間とほかの兄弟姉妹に。だからしたくもない結婚をして、別に欲しくない子どもを持った。

 

全く、こちらとしては迷惑な話です。

 

自覚と責任

 

結婚する気のない人に、無理に結婚させるのは罪だと思っています。子どもを産み育てるのもそうです。

 

その気が湧かないのは適性がないから。だったらそのままの方が、本人にとっても周りにとっても良いのではないでしょうか。

 

「その気がなくても嫌いでも、始めてみたら変わるかも。」

 

そんな意見をよく聞きますが、親の被害にあった者からすると、こんな無責任な意見はないと感じます。もし変わらなかったらどうするんでしょうか?

 

その気がないならやめてください。苦手なことはしないで頂きたい。それでも挑戦するのなら、その自覚と責任をもってほしいです。

 

「自由」には「責任」が伴います。「親になる自由」を謳歌したいのなら、生まれた子供に責任を持ってもらいたい。

 

自分ができないことには自覚を持ち、無理なことは人の手を借りる。こんなこともできないようなら、「親になる自由」は諦めていただきたい。