毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

医学部9浪の娘が毒母を殺害した事件・インタビュー記事に思うこと

医学部9浪の娘が母親を殺害した事件。

それに関しての書籍『母という呪縛 娘という牢獄』の著者・齋藤彩氏のインタビュー記事がネットに載っていた。

 

母親を殺害した娘(仮名・あかり)に同情する意見は多い。

それは私も同じだ。

 

ただ同時に、

激しい教育虐待を行った母親の臭いが私の中にもあるのだ。

うんざりするほどイヤになるけど、それは事実なんだ。

 

アメばあは、米軍の軍医と再婚して米国に暮らしているわけです。推測ですが、妙子さんはアメばあから十分な愛情を得られないまま育ってしまったという心象を受けます。小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやり取りも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました。

 

*「妙子さん」は母親の仮名、「アメばあ」は祖母の呼び名

 

 

母親(妙子)が自分の母親(アメばあ)を喜ばせ、

振り向かせるために娘の子育てをしていたのではないかという部分。

ここに自分と似た臭いを感じるのだ。

 

私も我が子が幼い頃、

子どもを連れて毎日のように実家に通っていた。

 

その理由は簡単だ。

親の喜ぶ顔が見たかったから、

そして親を喜ばせることができる「孫」を産んだ自分を、

誇らしく思いたかったからだ。

 

我が子が両親から褒められると、

まるで自分が褒められたような気持ちになった。

その感覚は甘く温かで、中毒になりそうだった。

 

私も同じなんだ。

同じように、子どもを道具にしてしまっていた。

 

この母親は明らかに度を越している。

それでも娘の医学部進学が母との唯一の繋がりだったとしたら、

それはそれで悲しいものがある。

 

母親の再婚相手が「軍医」だったことと、

医学部進学は関係があるんだろうか?

「お母さんの夫と同じ職業だよ」と言いたかったのだろうか?

医者ならお母さんが関心をもってくれると考えたんだろうか?

それとも単に、自分の子育てが成功したと思いたかったんだろうか?

 

親の愛情に飢えている者は、どこか「歪」だ。

「歪」だから、

「親」というものに生涯を通して固執してしまい、

それだけで人生が終わってしまうんだと思う。

 

バカバカしい事だと思う。

そう思いながらも、その場から逃れることが難しい。

親子の問題は簡単ではないのだ。

 

「モンスターを倒した」とツイートした娘よりも母親の方に関心を持ってしまう、

そんな気が重くなる事件だった。

この事件を思うと、ものすごく複雑な心境になるなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出してモヤモヤするので吐き出そう…娘の外見に拘る母に言われて嫌だったこと

 

着物騒動

新調した着物

 

ずっと前のことなのに、

世間が卒業式で沸いているので、

つい思い出してしまった。

 

子どもの中学の卒業式での話。

 

式典で着ようと思って、私は新しく着物を誂えた。

自分で誂えたのは初めてだったし、

一目ぼれの色無地だったので、ウキウキ気分で準備した。

 

そこへ母がやってきて、私の着物姿を見るなり、

「何?それ!?(ものすごく嫌な言い方)」

 

一瞬でイヤな空気になった。

孫の卒業式を見たいと言うので呼んだのだが、

断ればよかったと後悔した。

 

自分の価値観は絶対

 

母の言い方はこんな感じだった。

「私が持たせた着物はどうしたの! なんであれを着ないのよ! なに、その安物!」

 

事前に言っておかなかった私も悪かったが、

結婚前に揃えた着物を一度も着ないのならわかるが、

お宮参りや幼稚園、小学校と散々着ている。

それは母も見て知っている。

 

若い娘ならまだしも、その時の私は50手前のおばさんだ。

たまには自分で選んだものを着たっていいじゃない?

これから出かけようという時に、なんであんな言い方するかなぁ。

 

別に変な着物ではないし、変な着方もしていないし、特に安物でもない。

普通の地紋の入った色無地で子どもの式典には最適だし、

値段も一般的なものだった。

 

私は、色無地や付け下げのように大人しい着物とシックな色が好きなんだけど、派手好きで変わったもの好きの母は、色無地や付け下げが大嫌いで「安物くさい」と言って嫌っていた(絶対にそんなことはないが)。

 

母は自分が絶対に正しくて、自分の好みとは違う趣味を徹底的に批判し、絶対に認めない人だった。「単なる個人の好みだろ?」と思うのだが、母にはそれが許せなかったようだ。

 

「外見」にこだわる母

 

母が不機嫌になった理由はこんな感じだろうと思う。

 

「私がせっかく揃えてやったのに、なんで勝手に違うものを着るんだ! 私が何もしてないみたいじゃないか、しかもそんな安物を着て私に恥をかかせて!」 

 

母は娘の「姿」にこだわる人だった。

服装や髪型が、似合ってるとか似合ってないとか安物だとか、

とにかく会った瞬間に、こちらの着ているものや髪型に何かしら文句を言う人だった。それは「一般的な価値観」とかではなく、母の独断と偏見からくる評価だった。

 

だからたまに、とんでもないものを勧めてくることがあった。

忘れられないのは、私が20歳の頃のこと。

ママ友が娘に毛皮のコートを買ったとかで、「あんたにも買ってやる」と言ってきたことだ。

 

「そんなもの、絶対に着ないから! 若い娘が毛皮のコート? まるで○〇の人だよ」と激しく拒否。

 

母はこの時は諦めたが、

私が拒否をしても勝手に買ってきて、「せっかく買ってやったのに!」と一人で怒ることもあった。

 

母は家族や他人の外見を無茶苦茶に批判するが、

基本的にTPOがグチャグチャな人なので、自分は式典に普段着に毛が生えたような服装で出かけたりするのだ。

 

人はダメでも自分は良いの? なのである。

 

最悪な気分だった式典

 

イヤな気分で始まった卒業式のその日、

母は私の着物には一言も触れなかった。

完全に無視。

しかもずっと何となく不機嫌。

 

自分の着たい着物を着ただけなのに、

そんなに気に入りませんか?

 

その後、

高校の入学式も卒業式も、母には声をかけなかった。

もうあんな嫌な思いはこりごりだったから。

 

自分の好み以外の物を一切受け付けず、

不機嫌をあらわにする人はほんとに疲れる。

これも「こだわり」と「執着」からきているんだろうか?

 

 

「相手の機嫌を取ってはいけない理由」を聞いて、これって私と毒母だなと思ったことについて

何故だかお勧めに上がっていたyoutubeの動画。

『人への迎合・機嫌をとるのをやめた方が良い理由』 

「自分を見失わないために!」人への迎合・機嫌を取るのをやめた方がいい理由 - YouTube

 

これって、毒母と私の関係よね、と思った。

 

長年、

私は毒母の機嫌を取り、同調し、嵐が起こらないように気を配ってきた。

その結果、母は私に甘え、

私を自分の母親のように扱うようになってしまったんだな。

 

母が始終、人の悪口や批判ばかりしていたのは、

私がそれを聞き入れてしまったからかもしれない。

 

他所では言えない「負の話」を、

全部私の所に、持ってこられていたのかもしれない。

 

以前も書いたが、

母の知り合いの男性が「お母さんは大人しかった」と言った話。

 

私にとっては衝撃的な証言だったけど、

家の中では偉そうで、超が付くほど我儘だったから、

てっきり外でもそうだと思い込んでいたけど、

それは違っていたのかもしれない。

 

今、冷静に考えてみると、

母は大人(まともな大人の人)の会話ができない人だったので、

大人の中に入ると、借りてきた猫状態になっていたのかもしれない。

 

そう言えば、

親戚のお葬式や結婚式、父の実家に行った時などは、

母はほとんどしゃべらずにいた。

 

母は常に5,6人のグループ(ママ友、サークル仲間など)に所属する人だったが、グループの中でも意外と大人しくしていたのかもしれない。

 

そして、

外の世界で感じるストレスを、

家で私相手に発散させていたのではないかと思えてきた。

 

その人たちの悪口をいう事で、

うまく立ち回れない自分を、正当化していたのかもしれない。

 

思い出してみれば、

母がママ友達とおしゃべり会や旅行に行って帰ってきた時は、

必ずと言っていいほど、ママ友の行動や言動を罵っていた。

 

そうまで陰口をたたかないと維持できない関係ならいっそのこと一人でいればいいのにと思うが、母は一人でいることに耐えられない人なので、陰口三昧でストレス発散しながらでも、どこかのグループに所属しておきたい人だった。

 

思って見れば、

私は母の「悪の部分」だけに触れていたのかもしれない。

私が「母の悪」を、みんな引き受けてしまっていたのかもしれない。

 

母は本当はどんな人だったのだろう?

「悪の部分」を見せない母は、どんな人だったんだろう?

 

でもそれは私の知らない人であって、

私には関係のない人だったのだろうけど。

 

 

母にとって家族は、自分を肯定するための道具でしかなかったんだな、と思う

前回のブログを書いていて思った。

 

そうか、

母は家族を、

自分は悪くない、自分はよくやっているんだと、

自分を肯定するための道具にしてしまってたんだと思う。

 

誰だってそういう部分はあるよ。

家族には自分を肯定的に見てほしいと思っている。

認めてほしいよね。

私だってそうだ。

 

でも母のそれは何か違う。

もっとグロテスクと言うか、

自分を承認させることに必死になっていたように感じる。

 

私を「偉い」って言って!

私は「なんでもちゃんとできてる」って言って!

「間違ってない、悪くない」って言って!

 

家族にそう思わせる事に躍起になっていたように感じる。

でもそれって、幼児が母親に向ける欲求だよね。

 

あぁそうか、

だから母と付き合っていると、

自分がまるで

母の母親になったような気持ちになったのは、そういう事かもしれない。

 

母の話を聞いていてよく思った。

この人は親や先生や大人から、

良い評価を受けた事がないんだろうな、と。

 

母がはっきりそう言うわけではないけれど、

母の言動や、

子どもの頃の行動を想像すると、そう思うのだ。

 

同級生に暴言を吐く

年の離れた弟妹を騙したり邪険にする

怒りのコントロールができず癇癪を起す

注意されても口答えばかりで謝らない

「先生のいう事なんて聞かなくていい」と言ったりする。

 

たぶん、

母には「そうしてやろう」という悪い気持ちはなかったんだろうと思う。

そうとしかできなかったのではないだろうか。

 

しかし故意であろうとなかろうと、

大人の目に見えている母は「厄介な子」だ。

 

母は、なぜ叱られるのか、

人がなぜそんな嫌な顔をするのか、

なぜ親族が離れていくのか、

たぶん一生、理解できなかったのだろうと思う。

 

可哀そうな人だと思う。

可哀そうな人だと思うけど…

 

私はそんな母の「人生のもがき」に巻き込まれていたのだろう。

でもそれは、子どもにとっては単なる迷惑でしかなかった。

 

 

子どもを自分の友達や話相手だと思っている親は、とんでもない勘違いをしていると思う

私は母の何が嫌だったのだろう?

何に我慢できなかったのだろう?

 

最近そればかり考えている。

 

母は私を、自分に都合が良い「話し相手」としか捉えていなかった。

それはいくら母が否定しようと、事実としてそうだった。

 

自分の感情を掃き出す相手であり、

何の気遣いもせず、言いたいことを言いたいままに言える相手。

 

躾もしない、常識も教えない、

あらゆる「教育」をせずに、ただ毎日、自分の感情を吐き出すだけの人。

 

彼女の会話(?)は、自分は悪くない、自分はよくやっているという事を家族に認めさせるだけの、ただの「独り言」だったように思う。

 

兄弟とよく比較もされた。

母には「比較している」という気はなかったのだろうが、

私を相手に「自分の息子」の自慢話をするのは、

こちらからすれば「悪質な比較」だった。

 

母は子どもを”直接”褒めない人だった。

裏ではコソコソと自慢話をするのだが、本人には絶対に褒め言葉を言わない。

なぜそうだったのかは分からないが、そうだった。

 

だから一度も褒められたことがないのに、

他の兄弟の自慢話をされるのは虚しかった。

 

それはまるで自分が空気か何かのように、

そこに存在しない者のように扱われている気がしたのだ。

 

「娘とは仲良しで、何でも話して、友達親子なんです~」と言う人がいるが、

とんでもない勘違いをしているとしか思えない。

 

子どもを自分の友達のように扱うのは、

「子ども」としての存在を無視しているのと同じだと思っている。

 

親は「親」だし、子は「子」なんだ。

親子の間には「一線」が必要なんだと思っている。

その一線を親の都合でうやむやにしてしまうのは、

子どもにとっては害でしかない。

 

子どもを「友達」にしてしまうのは、自分が楽だからだろう。

 

子どもに受け入れられているという(勝手な)実感を得られ、

子どもに去って行かれる寂しさから逃れられ、

「親」であることの責任からも解放される。

 

いずれにしても、それは全て「親の得」でしかない。

 

親子の間に一線を引き続けるには強い意識が必要で、

それだけしんどいことだと思う。

 

母には到底無理な話だ。

しんどいことをし続けるなんて、できるわけがない。

そもそも、そんな事を考えさえしない。

 

私が母が嫌だったのは、そういう所なんだろう。

 

だらだら、ぐだぐだ、何もかもがいい加減。

感情のままに生きている人。

自分を守る事しか考えてない人。

 

それが虫唾が走るほどイヤだったんだ。

 

 

母を「毒親」だと思うのは、私の単なる「気のせい」なのかもしれないと思う時がある

表題の通り、

母親に酷いことを言われたと思うのも、

私の性格や行動を否定されたと感じるのも、

母を無神経でなんにも気が付かない底なしのアホだと感じるのも、

全部全部、私の「気のせい」なんじゃないかと思う時がある。

 

私の性格や拘りや、何かそうした私自身の問題でそう感じるだけなんじゃないかと思う時があるのだ。

 

でも次の瞬間、

母の妹も弟のお嫁さん達も、母と縁を切りたがっていたじゃないか?

それは彼女達も私と同じように感じていたからじゃないか? と思ったりする。

 

だから私のこの「嫌だった」という感覚は、

「気のせい」でも「間違っている」のでもないんじゃないか、と思い直したりするんだ。

 

以前にも書いたけど、

母の弟のお嫁さんは、弟が亡くなった時に母にその死を知らせなかった。

「知らせたくない」と、他の兄弟の前ではっきりと言ったそうなんだ。

母は弟の死を1年余り知らなかったし、もちろんお葬式にも呼ばれていない。

 

普通、そんなことある?

実の弟の死を知らされないなんて。

 

でも知らせたくないって言うお嫁さんの気持ちもわかるんだ。

何せ自分の父親のお通夜で、ほんの些細なことで喚き散らした人だから。

 

自分の母親のお葬式でも、なんでこんな式場にしたんだとか、あれが気に入らないこれがダメだとか、人が決めたことに文句だけ言うのだから迷惑ったらありゃしない。

 

当然、場の空気はめちゃくちゃ。

 

でも雰囲気をどれだけ悪くしても、本人は1ミリも悪いとは思っていない。

私は絶対に間違ってない、だから私の思う通りにしなかった相手が悪いんだと本気で思っている人だった。

 

母のもう一人の弟(長男)が亡くなった時も、お葬式で母を喚かせないように、叔母がものすごく気を遣っていた。それは横で見ていて気の毒になるほどだった。

 

義理の妹だけじゃない、

実の妹も、兄弟との旅行に母を呼ばなかったりしている。

 

みんなわかっている。

みんなが母を迷惑に思っていることは、みんな互いにわかってる。

でも母だけがわかってない。

 

母の妹は母のお葬式で言っていた。

これでいいのかって迷っていた、って。

母と連絡を絶って、そのままでよかったのかって。

 

そうだよね、迷うよね。

身内だかこそ迷うんだよね。

 

関係が良い時もあった、してもらった事もある。

だから迷う。

 

でもずっと同じ事の繰り返しだったじゃない?

離れて、迷ってまた近づいて、酷い目に遭って離れて…

結局なにも変らない。

 

みんながそう思うから自分もそう思ってもいい、

そんなふうに自分を納得させるのは嫌だし卑怯な気はするけど、

自分の感覚が「おかしくない」と思うためには他人の指標も必要なんだ。

 

身内に「おかしい人」がいると、離れても、離れなくても心が疲れる。

 

母は「おかしい人」だった。

だから私の感覚は間違ってない。

 

そう思う事を否定しないでおこうと思う。

時々迷うけど、これ以上心が疲れないように、自分を肯定してあげようと思う。

 

 

 

娘が褒められたらいやなの? それは「表情と言動のズレ」が原因だったのかもしれないが、子どもの頃は大変だったよ

私が生まれた時、母方の祖母が私の手相を見て「この子は賢い子になるよ」と言ってくれたそうだ。

 

私を褒めることなんてないし、誰それが褒めていた、なんて話もしない母だったが、自分の母親(祖母)が言ってたことだけは話していた。

 

母方の祖母は私に対して何かといい評価をしてくれた人だった。

でもその度に「母が嫌な顔をしていた」という記憶がある。

「おばあちゃんがこんなことを言ってた」と、実に憎々しげな表情で言うんだ。

 

だから私はいつも、褒められているのに嫌な感じになるという矛盾を感じていた。

 

今はそれは、あの人は表情と言動が一致してなくて、何故だか攻撃的な物言いをする人だったからかもしれないと思う。

 

でも子どもの頃はそんな風には思わなかった。

母の表情から、「おばあちゃんの褒める通りにしてはダメなんだ」感じ取っていた。

 

子どもは親の表情からいろいろな情報を受け取ろうとする。

 

乳児が食べ物を口に入れようとした時、親が「嫌な顔」をすると子供はそれを食べないと言う。「あ、これって食べちゃ危険なんだ」と敏感に察知するんだろう。

 

だから親の表情にズレがあると、子どもはとても混乱する。

それが良いことなのか悪い事なのか分からなくなるのだ。

 

母は表情や言い方に「ズレ」のある人だった。

 

例えば「それ、食べていいよ」という時は『許可』を表すんだから、どちらかと言うと穏やかな表情・言い方の方が良いよね。

でも母は「攻撃的な表情と言い方」をする時が度々あった。

 

だから「本当は食べてほしくないけど、食べたいのなら勝手に食べれば!」と言ってるように聞こえるんだ。

 

人は「言葉そのもの」よりも、表情と言い方からその言葉の真意を図ろうとするよね。だからそこが合ってないと、要らぬ誤解が生まれてしまうんだ。

 

「勝手に食べれば!」と言われたら、その返答は「別に欲しくないし!」みたいなトゲトゲしいものになってしまうよね。無視しても「なんであんな言い方すんだろう?」と嫌な感情が残ったりもする。

 

母の物の言い方と表情のズレ。

何が原因でそうなっていたのか分からないが、脳の誤作動としか思えない奇妙さだった。

 

あの人は一体、何がどうでああだったんだろう?

それをはっきりさせてから旅立ってほしかった…