毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

「変な人」に惹かれてしまう私、母との関係性を再現してしまう

私は、「何故あの人を?」と周りの人が言うような「ちょっと変わった人」に惹かれてしまうところがある。

 

若い頃に夢中になった人は、パワハラ傾向のある人だった。

 

社内でも平気で「お前は頭が悪い、バカだ」などと言う人で、ちょっと美人の先輩には「○○さんはきれいだなぁ~」と、本人の前で気持ちの悪いことを言う人だった。今思えば、発言に衝動性があったのだろうと思う。

同僚だった友達は「なぜあんな人が好きなのか理解できない」と言っていたが、私はその人の奇妙さに全く気が付かなかった。

 

学生時代の親友は、どことなく私の母に似ていた。

 

我儘で自己中心的なところがある人だったが、当時はそれを魅力的に感じていた。今思えば、彼女にはASD傾向があったのではないかと思っている。

 

私は昔から、母に似た人、つまりは発達障害の傾向がある人に関心を持ってしまうところがあった。そしてそういう人に近づいた結果、必ず振り回されていた。

 

でもその「振り回されること」に快感を覚えていたようにも思う。彼らの我儘に応じることに変な「やりがい」を感じていたのだ。

 

だから今でも、対等で健全な人間関係では物足りなさを感じてしまう。相手の我儘がないと、その人が私を必要としているのかどうかを確認できなくて不安になったりする。

 

長年馴染んできた人間関係の在り方からは、なかなか抜け出せない。

 

母と私との関係性を再現してしまうのは不健全なことなのだ、物足りないくらいの人間関係が良いのだと肝に銘じなければならないのだろう。

 

 

 

嗅覚過敏の母は、始終、臭い臭いと文句ばかり言ってた、おかげで私は口臭恐怖症になったよ

母はいつも、何かが臭いと言って怒っていた。

 

バスの中で、前に座っていたの人の髪の毛が臭かった。

隣に立っていた人の体臭が臭かった。

デパートの店員の息が臭かった。

お父さん(夫)は臭いから一緒に居たくない。

 

そして家の中に新聞があると「臭くて頭が痛くなる!」と言って、毎日欠かさず外に出していた。新聞を置いた部屋から何重にもドアを閉めた場所にいても、新聞の臭いがするんだそうだ。

 

あれは嗅覚過敏だったんだな。

激怒するほどの臭いでもないのに、一人で騒いでいたからね…

 

そんな母の怒号を聞くうちに、私はいつしか自分の体臭や髪の毛や息が臭いんじゃないかと過剰に気にするようになった。自分では分からない口の臭いは特に心配で、20年ほど口臭恐怖症に苦しんだ。

 

30歳くらいの頃だったか、自分の口臭が余りにも不安で、その不安から解放されたくて、口臭専門の歯科医院で調べてもらったことがある。その結果は「特に問題なし」だった。

 

私は嬉しくて、母に「口臭はしていないって、問題ないって言われたよ、良かった~」と報告したら、母は「その時たまたま臭わんかっただけやろ。 口臭なんていつするか分からんからな」と言い放った。

 

「それは良かったね」と言ってほしかった私が甘かった。

 

母はそんな人ではないことを分かっているはずなのに、たまに忘れて夢を見てしまうのは私の悪い癖だった。そして私は母のその言葉で、再び口臭恐怖症に舞い戻ってしまったのだった。

 

過敏症の母にとっては、臭いにおいは凶器だったのかもしれない。でもそれを人に訴えないで欲しかった。臭いんだったら、そっと黙って自分で対応してほしかった。

 

母は何故、なんでもかんでもいちいち人に訴えないと気が済まなかったんだろう?

暑い、寒い、臭い、気持ち悪い…

思ったことを速攻で口にしてしまう特性のせいだったのだろうか?

 

きっとその訴えには応えなくても良かったんだろうと思う。

 

また言ってるわ、と聞き流しておけばよかったんだと思う。本気にして、気にして、恐怖症になってしまった私がバカなんだと思う。

 

母は迷惑な人だったが、かわいそうな人だったんだなとも思う

ASD(自閉症スペクトラム症)のことを調べていたらこんなコラムがあった。

(全文はこちら↓)

ic-clinic-shinjuku.com

 

🔸 表情や声のトーンの不一致

ASDの方の中には、言葉の内容と表情や声のトーンが一致しないことがあります。褒めているつもりでも無表情だったり、冗談のつもりでも真顔で言ってしまったりすることで、相手に誤解を与えることがあります。逆に、深刻な話をしているのに笑顔になってしまうこともあります。

また、話し方が抑揚に乏しかったり、逆に独特のイントネーションがあったりすることもあります。これらは本人の感情とは関係なく、非言語的なコミュニケーションの表現に困難があることによるものです。

🔸 批判的に聞こえる質問や指摘

ASDの方は、純粋な疑問や確認として質問しているつもりでも、相手からは批判や非難と受け取られてしまうことがあります。「なぜそうしたの?」「それは間違っているんじゃない?」といった発言は、本人にとっては単なる質問や事実の確認でも、相手にとっては責められているように感じられることがあります。

 

母についてとても不可解だった「話している内容と表情や声のトーンが合ってない」を説明してくれている。あれはやっぱりASDの特性だったんだなと納得した。

 

母は質問魔だったが、本人は単なる質問のつもりらしいが、声のトーンが怒っているので、文句や批判にしか聞こえなかった。真剣に叱られているのにニヤニヤしていることもあったので、多分これだなと思う。

 

可哀そうだと思う。

 

ASDの人にとっては、人の世は不可解なことだらけだろう。

何か言えば叱られる。注意を受ける。あきれられる。段々と避けられる。

でもその原因が分からない。何を言えばそうなるのかが判断できない。

 

母は、境界知能のASDだったのではないかと思っている。

そう思えば、母の不可解な言動の辻褄が合う。

 

さぞかし生きにくかったろうと思う。

 

私の対応として正しかったのは、母の言動のフィードバックを行い、改善策を教え、 次の引用文のような支援だったのだろうな。

 

大塚製薬のすまいるナビゲーターでは、ASDの方への対応として「家族や周囲がその子の特性を正しく理解し、本人の生きづらさを軽減させることが対応の基本」と述べられています。特性と人格を分けて考えることで、不必要な対立を避け、より良い関係を築くことができます。

 

「特性と人格を分ける」…かぁ…

そうだよなぁ…

 

でもこれって、まるで「母親」だよね?

娘がすることではないと思ってしまうのは、どうしても怒りが湧いてくるのは罪なんだろうか?

 

発達障害というものがもっと早く世に知れていて、もっと早く適切な支援を受けることができていたら、母の特性は、あそこまで酷い状態にならなかったのではないかと思う。

 

すべての子どもに、知的障害と発達障害の早期検査を望む。

そして適切なソーシャルスキルの支援をしてあげてほしいと、切に願う。

 

障害をもった子ども自身のために、

その親のために、

そうした親の元に生まれた子のために。

 

 

 

子供からの贈り物を素直に喜べない毒親

毒親動画がおススメで流れてきたので見てみたら、これがもう共感しかなかった。

 

配信者(女性)が、ほぼほぼ絶縁状態だった毒母に初任給で財布を送ったんだって。プラダか何かの高いブランドもの。で、毒母の反応が、「この財布、ちょうど探してたから助かったわ」だけだったそうな。「ありがとう」の一言もなかったそうで、配信者は深く傷ついたというわけ。

 

あ~、これ、私もあったわ、と共感。

 

母の日に、高いブランドものの財布を贈ったことがあった。

それで返ってきた言葉が「なんでくれるの?」だけだった。なんで?って…どういう意味?

 

母は、誰でも知っているような有名ブランドの名前すら知らない人だったので、贈った財布には興味がなかったのでしょう。母のそういうのを知っていて贈った私も悪かったんだけど、なんで普通に「ありがとう」と言えないのかなぁ… 

 

気恥ずかしいとかそういうんじゃないのよ。心の底から「なんで?」と思ったから言ったんでしょうよ。返答するなら何と言うのが正解だったんでょうね?

 

またある時には、「くれる物はもらっといたらいいねんな」と意味不明なことを言ったりした。これもどういう意味なの?

 

そうそう、またある時には、祖母(母方)が「姪が服とか贈ってくるけど迷惑だ」って言ってたとか、そういうことを言うのよ。母親にプレゼントを贈っているこちらとしては、そんな話気が悪いよね。

 

私は、子どもからのプレゼントなら、それが何であってもただただうれしい。

 

でも母はそうではなかったんでしょうね。「なんで娘はくれるの?」と思ったり、「もらっといたらいいのか」と思ったり、「うれしい」以外のことを思う人だったんだ。理解できないけどそうだったんだな…

 

で、これは何度も書いているけれど、件の母の日に贈った財布、数年後にはちゃんと私の手元に戻ってきたよ。「これ、一回も使ってないねん。もったいないからあんた使い」だって。

 

どう思う?

意味不明でしょ?

 

母の「そんなの、できなくてもいいんだ」という言葉

ある境界知能+ASDの方の動画を見ていたら、配信者の言葉にはっとした。

 

「あの時の私に『そんなこと出来なくてもいいんだよ』と声をかけてあげたい」

 

それだけ聞けば、「そうだよね、その通りだよ」と素直に思う。でもそれが自分の親だったら状況は一変する。

 

事実、母(境界知能+発達障害の疑いあり)は何かにつけて「そう」言っていた。

「そんなん、できんでもいいねん!」って。

 

努力している人、頑張っている人の話を聞いた時、

機転の利く人や気遣いのできる人のことを聞いた時、

愛想のよい人に出会った時、

そんな時母は、「そんなことできなくてもいい!」と、誰に言うともなしに強い口調で言っていた。

 

母はそうやって自分を守っていたのだろう。

「できない自分」が傷つかないように、自分に言い聞かせるように。

 

でもその言葉が、娘である私を時には傷つけ、時には人生の迷子にさせていた。

 

「できなくてもいいの? でもみんなできてるよ? できたほうがいいんじゃないの? 本当はどっちなの?」

 

私は大人になるまで、何が正しいのか分からなくなっていた。

 

にこやかに挨拶する人のことを「なよなよ言って気持ち悪い、あんなんせんでもいいねん!」と言っていた母。微笑んで挨拶をするとそんな風に思われるのか?と真剣に迷っていた私。

 

「友達でもないのに挨拶なんてするな!あんなんできんでもいいねん!」と怒っていた母(相手は近所の人です)。ご近所でも友達じゃないと挨拶してはダメなの?と迷う私。

 

夜遅くまで受験勉強を頑張っていた近所の子。「あんなに必死にやって結果はあれか?必死にならんでもいいねん!」とバカにしていた母。頑張ってもそんな風に嘲りを受けるの?

 

察して気を利かしてはダメなのか?

人にやさしくしてはダメなのか?

努力したらダメなのか?

 

母は自分を守ることで手一杯だった。

自分を守るためのその言葉が、どれだけ自分の子供を迷子にするかなんて思いもしなかっただろう。

 

思い返してみれば、私はずっと母に気を遣っていた。

 

本当はできるけれど、母の前では「できる」ってことを示してはいけないような気がしていた。だからわざと「できないふり」をしていたこともあった。

 

本当はもっと自由に、人にやさしくしたり、にこやかに挨拶したり話をしたり、何かをガムシャラに頑張ったりしたかった。でもそれをしてはいけないような気がしていた。

 

大人になってからも、「これはできても大丈夫、これはマズイかな」って、やっぱりなんとなく母に気を遣っていた。

 

だから私は今でも「できない人」が嫌いなんだ。無意識に気を遣って疲れてしまうから。

 

それはこちらの都合なんだけど、ごめん、申し訳ないけど、嫌いなんだ。

 

 

母の知能に問題があったのだとしたら、責任能力なしってことで無罪放免になるんだな…

おかしかった母の正体を知りたくて、毎日のように境界知能や発達障害の当事者の方の解説動画を見ている。見ているうちに、「あぁ、これはほぼ確定だな」と思うようになった。

 

母の奇妙さは、発達障害よりも知能の問題が主因なんだろうなと思う。あの異常な「気が付かない」はそうとしか思えない。

 

「物理的な状態」にも「心理的な状態」にも、何に対しても「気が付かない」のが私の母だった。自分のことも気づかないのだから、子どものことに気が付くはずがない。

 

長年に渡って私を悩ませ続けた母の正体は、単なる「バカ」だったのだ。言葉は悪いがそうなのだ。

 

あぁ…なんてあほらしい…

そんなことのために振り回されてきたのかと思うと怒りさえ覚える。

 

思い当たることはいくらでもあった。「この人はあまり賢くないんだろうな」とは感じていたが、知能に問題があるとまでは思わなかった。奇妙な行動のあれこれが知能の問題だなんてわからなかった。

 

昔は今のようにSNSもなくて調べる手段がなかった上に、発達障害やら境界知能などといった概念も一般的には知られていなかった。私の知識不足かもしれないが、脳の問題にまで考えが至らず、だから得体が知れなかったのだ。

 

あ…ぁ、なんだか無性に虚しい。

 

この虚しい気持ちをどうしたらいいのか分からない。

憎むだけ無駄、悩むだけ無駄だったんだと思うとやりきれない。

 

例えは悪いかもしれないが、被害を受けた犯人が刑法第39条によって無罪になるやるせなさに似ているのではないかと思う。

 

責任能力なし。

 

子どもに暴言を吐き続けて傷つけても、ほったらかし育児で子どもが不利益を被っても、すべて「責任能力なし」ってことになるんだ…

なんだそりゃ…

 

 

親が大声で怒鳴っているのを「怖い」って思っても良いんだ、と思ったことについて

先日おすすめ動画に、お父さんと3,4歳の男の子の動画が流れてきた。

 

お父さんはプロ野球を見ていてるのだが、突然「何してんだこのやろー!」と大声でやじを飛ばした。

するとその瞬間、そばにいた男の子は泣いて逃げて行った。お父さんは「ごめん、ごめん」と言って男の子を追いかけた。

 

これだけの動画なんだけど、私は驚いた。

 

「怖いって思っていいんだ…」

 

私の両親は喧嘩の絶えない夫婦だった。

毎回大声で怒鳴り合う。

 

両親の喧嘩が始まると胸が苦しくなった。

何も考えられなくなる。

息をひそめて嵐が去るのを待つしかない。

 

大人が怒鳴り合うのは怖いし恐ろしい。

でもそう思うことは普通のことなんだろうか?

正しいことなんだろうか?

私は「怖い」と思ってもいいのかが分からなかった。

 

この動画は、それは普通の感情なんだと教えてくれた。

 

両親は私が「怖い」と言わなかったから、親の喧嘩が子供に恐怖を与えるってことに気が付かなかったんだろうな。