毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

前回の続きです ☆若い頃から不愛想だった母☆

そんな「ちょっとヤバい感じ」の家系に生まれたのが、我が毒母である。

 

母は学校の勉強ができなかったようで、義務教育が終わると社会に出ることになった。

 

最初の職は小さな会社の事務員で、要するに「お茶くみ」だ。

 

ところが母には「愛想」というものが全くない。

機転も利かないし気も利かないので、「お茶くみ業」には全く向かない人だ。

案の定、お客さんから「もう少し愛想よくしたらどうか!」と叱られることが多かったらしい。

 

自分には向かないと、1年足らずで転職することになった。

 

しかし次の職場でも同じように「もう少し愛想よく対応できないのか?!」と注意を受けることが多かったようだ。

 

しかし職場事態は居心地が良かったようで、ここで10年近く働くことになる。そして20代の半ばで父と見合い結婚。同郷という事で、親戚の紹介だったらしい。

 

しかし、父の実家にあいさつに行ったときにひと悶着起きる。

母は「挨拶」ができないからだ。

 

父の実家は結構な田舎にある。

人の移動はほとんどなく、周りはみな昔からの知り合いばかりで、親戚みたいなものだ。

そういう地域では「愛想」が最も重要な要素だったりする。

 

母は周りの事に何も気が付かない人なので、畑仕事をしている近隣住民が、手を止めてこちらを見ていることに気が付かない。

 

気が付けば、にっこり微笑んで会釈すればいいのだが、母にはそんなことはできないし、そもそも気が付きさえしない。

 

結果「あの家の嫁は無視をする!」という事になる。

父や父の両親からも注意を受けるが、何度言われても、できないものはできない。

 

できないのは挨拶だけではない。

気が利かないから、人の世話もできないしお茶の一つも入れない。

座ったら座ったまんま、周りの人があれこれ動いているのをただ見ているだけ。

「手伝いましょうか?」の一言もない。

 

愛想はないし挨拶もできない上に、口を開けば要らぬことを言う。

そして、じっと座ったまんま不愛想だ。

 

私が10歳の時に一番大きな離婚騒ぎがおきたのだが、父の親は「離婚してもいい」と言ったそうだ。

当時の親は離婚を思いとどまるように言うものだったが、そうしなかった祖父の気持ちも何となくわかる。きっと最初から不満があったんだろうなと思う。

 

義理の親や田舎のご近所さんから全く歓迎されなかったからか、母はずっと父の親と田舎を嫌っていた。子どもの前でも、父の前でも、平気で義理の親と田舎の悪口を言っていた。

 

祖父は私たち孫には優しかったので、母が口汚く罵るのを聞くのは本当にいやだった。横で黙っている父も気の毒に思って、尚更居たたまれなくなっていた。