エストラーダ恵美・著
『私の母は知的障害者』
簡単に概要を説明すると…
題名の通り、著者の母親には中等度の知的障害がある。
56歳で診断を受けるまで何の福祉的支援も受けず、普通(とはいいがたいが)に結婚・出産を経験し、夫と離婚後は目の見えない祖母と著者との三人暮らしを始める。
本著では、その間の母子との関係性や、母親に対する思いや苦悩を綴っている。
このお母さんは、知的障害を抱えてはいるものの、性格は穏やかで愛情表現も豊かな人だったようだ。著者は幼い頃は大お母さん大好き少女だったという。
ところが成長するに伴い娘が母親の知能を超えてしまい、母親の「奇妙さ」に気付いていく。
母として尊敬できない事、母親を愛しているのに、そう思えなくなってきていることに苦悩するようになる。またそうした複雑な心境を、親戚や周りの大人に理解されない事にも苦しむのである。
*****
著者であるエストラーダ恵美さんが母親っ子だったことから話の内容に共感する部分は少なかったが、ただ一つ気になったことがある。
それは、祖母(母親の母)をはじめ親戚一同、自分と同年代の従妹までが、母親の知的障害に気付いていた、という事だ。知らなかったのは娘である著者だけだったのである。
これには思い当たるところがある。
一緒に生活をしていると、「この人は何かおかしい」と思いつつも、その確証と言うか、「絶対にそうだ」と思いきれないところがあるのだ。
それが親だと尚更である。
家にいる大人がその人なのだから、子どもとしては「何が普通で何が変なのか」が分からないのだ。また、「できれば親を尊敬したいし、好きでいたい」という感情もあって、益々複雑になっていくのである。
たとえ疑惑を誰か大人に訴えたとしても、「変な親」に遠慮して、「そんなことを言うもんじゃない」と諭されておしまいな場合が多いのではなかろうか。
いつまでも疑惑は解消されず、自分の思い違いではないか? あんな親にも良いところはあるから、などと思い、ストレスが溜まるばかりとなっていくのである。
そこで疑問なのは、家のもう一人の大人である「父」は、一体母のことをどう思っていたのか?という事である。
著者の父親については記載がない。
幼い頃に離婚したので、何も分からないのであろう。
私の父は、始終怒っていた。
もっと考えてものを言え!
人をたてろ!
もっと気を利かせ!
私が子供の頃、父はそう言って始終喧嘩をしていたが、父は母の「異常性」をどう思っていたのだろうか? ただの「厄介な性格」と思っていたんだろうか?
父の兄弟が「あの人はああいう性格だから」と言っていたので、きっと同じだろうと思う。精神障害や人格障害を疑うことはなかったんだろう…
近くにいる子供だけが真実に気が付かず、長々と苦しむ構図は同じだな、と思った。
一度叔母(母の姉妹)に、本当はどう思っていたのか聞いてみたい。母が亡くなった今、本当の思いを話してくれるかもしれないな…