毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

「家族」が私を評価するように感じてしまう苦しさについて

 

 

「家族」が苦しい

 

 

私は自分の現状に満足していない。

厳密に言うとそれは「私が」満足していないのではなく、今の自分の状態では家族が私を評価してくれないだろうという「不安」からきているのだ。

 

私は夫が、息子が、私の評価を下しているように感じてしまう。

もちろん彼らが何か言うわけでもないし、そんな気もないと思う。

 

でも私は、自分が普通にいるだけではダメで、何か凄いことをしないといけないと思ってしまう。優秀で、家族に貢献していて、家族の利になるような人間でないと家族が私の存在を「意味のないもの」と感じるのではないかと恐れているのだ

 

夫の夢に対する責任

 

夫の夢

 

私は精神状態を保つためにできるだけ「世の中のニュース」には触れないようにしているが、それでも完璧にシャットアウトすることはできない。

 

ニュースから漏れ聞こえてくる声で私を苦しめるのは「共働き」というワードだ。

何故なら、私の夫の夢は「パワーカップル」だったからだ。

 

夫婦二馬力で働いて余裕のある暮らしがしたかったのだろう。専業主婦が夢だとも言っていたので、妻がガンガン働いて、自分は主夫でいたかったのかもしれない。

 

私はそんな夫の夢を叶えることができなかった。

そして夫の夢をかなえられなかっことに、私は責任を感じているのだ。

 

私の夢

私は結婚を機に(たまたま時期が重なっただけだけど)仕事を辞めてからも、できるだけ働いてきた。でもそれは正社員ではなくパート・アルバイトだった。家族の都合で辞めている時期もあったので、トータルにしたら半分くらいの年月だと思う。

 

元々私には共働きの願望はなく、子どもを手元で育てたい(三歳児神話は信じてないけど)、子どもと一緒にゆっくりした時間を過ごしたい、という思いが強かった。

 

実家が滅茶苦茶だったので、安心できるゆったりとした家庭を作ることが私の最大の夢だったからだ。

 

ずっと家にいたかったわけではない。

子どもが中学生になったらフルタイムで働こうと思っていた。

 

でも結果的には、それも叶えられなかった。

丁度その時期に病気になったり、引っ越しを繰り返したり、何だかんだで家族の都合に合わせてしまった。

 

だから結婚する前に、互いの生き方についてもっとよく話し合うべきだった。

私はそんなつもりはなかったが、夫を騙したようなうしろめたさを感じ続けている。夢の方向性が違うという事で、結婚はなしにすべきだったと後悔している。

 

「役に立つ人」でありたいと思うのは

 

夫の夢を叶えることは、私の責任ではないと分かっている。

 

彼の夢は彼の夢であって、もしどうしてもその夢をかなえたいのであれば離婚してやり直せばいいだけなのだ。そうしなかったのは夫の選択であって、その選択に私が責任を感じることなどないのだ。

 

でもどうしても私は苦しんでしまう。

 

それは冒頭でも書いた通り、私が夫にとって「役に立つ人」でなく、「価値のない人」になってしまうのではないかと恐れているからだ。

 

なぜそんなことを思うのか、自分でも分からない。

でもどうしてもそう思ってしまって苦しいのだ。

 

無能な自分でもいい

 

「ここにいてもいい理由」が欲しいと思ってしまうのは何故なんだろう?

 

人と関わる以上、安心はどこにもない。

私が安心して、楽しく、自分のままでいられるのは「独りでいるとき」だけだ。

 

人との関係性を絶ち、1人で働いて1人で暮らす。誰も私を評価しない環境の元でしか、私は心の平安を得られない。私はちゃんとやっているんだと思えない。

 

「人」が「私を評価する何者か」になってしまっている。

だから人と心穏やかに過ごせない。

 

無能な自分が許せないし、働いていない自分に存在価値が見いだせない。

そもそも存在価値なんていらないんだけど、そこから頭が離れないんだ。

 

私の中にある「苦しさ」を取り除くことができたなら、生きることがもっと楽になるんじゃないかと思う。

 

私の生きづらさは、私自身が作り出しているものだけど、それを自分の力で排除することができないでいる。