ここ何回か母の会話についてばかりになっているが、
何回も書いてしまうほど、母の会話は特徴的なんだ。
誰もが知っていることを知らない(びっくりするほど知らない)。
話の対象を深堀できないし繋げない
勝手な解釈をして会話が取っ散らかる
自分の事に話を持って行ってしまう
そして「もうこの人と話をしたくない」と思わせる第一位の理由が、この後に書くこと。
私「車で来たけど、道が混んでいて時間がかかったわ~」
母「なんでそんなに道が混むんや! ほんまに腹が立つわ!」と怒り出す。
一般的な会話なら、「今日はお彼岸だからお墓参りで混むのかな?」とか「今の時期、工事が多いからねぇ」とか、何か混む理由を挙げて話をつなげると思うんだけど、母はそういうことができない。
できないだけならまだしも、こちらがちょっとでも「不満そうなこと」を言うと、言った本人以上に怒り出すから不思議だ。
しかも怒っておしまいだから、会話はそこでブッツリと切れる。
これはかなり後味が悪い。
世の中でよく言われる「いわゆるコミュ障」は、本当のコミュ障ではないと思う。
それはただ会話が上手くないだけで、相手に害を及ぼすことはないんじゃないか?
本物のコミュ障とは、母のような人を言うのだと思う。
話が正しく伝わらず、膨らまず、続かず、
相手を不愉快な気分にさせ、時には激怒させてしまう。
しかも自分の「思い違い」を吹聴して回る。
これ以上の「コミュ障」があるだろうか。
最強なのではないか?
しかし本人は、この現実に気が付いていない。
まさか自分がコミュ障だとは、努々思っていない様子だ。
母は自分の「不出来」な部分を思って、「私ってなぜ○○ができないんだろう?」と悩むことがない人だ。
自分が○○ができないのは△△(他人とか家族とか環境とか)が悪いからで、自分の責任ではないと思うか、そもそも○○なんてできないくてもいいんだ、と開き直るかのどちらだ。
だからいつまでたっても、何かが改善されるとか良くなっていくことはない。
会話についても同じで、自分が気分良く話ができないのは相手がツンケンしているからだとか、こちらに話題を合わせてくれないからだと思う人なんだ。
どうやったらそんな身勝手なことを考えられるのか不思議なんだけど、でもねぇ…よくよく考えてみると、果たしてこの人と会話する意味なんてあるんだろうか?