毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

「福祉」と「生産性」と「ベーシックインカム」

 

 

気になるツイート

 

ツイッターをつらつら眺めていると、気になるツイートがあった。

 

 

店主の夢

 

このツイートを読んで、以前勤めていたバイト先を思い出した。

 

そこは店主夫婦を含めて、従業員が10人もいないような小さな弁当屋だった。

 

店主は「あくせくせずのんびり働くこと」を信条に掲げて、その店をオープンしたそうだ。どんな人でも無理をせず、自分のペースで働いていければいいなと思ったと言う。

 

たいへん立派な志である。

しかし問題はその店がフランチャイズだったことと、店主に「経営手腕」がなかったことだ。

 

いくら店主が「あくせくせず」と言ったところで、毎月決まったロイヤリティーは払わなくてはならないし、また、のんびり働いても利益が出るように、店の経営を考えないといけない。

 

しかし店主には、そのどちらも頭にはないように見えた。

 

思った通りその店は赤字の月が多く、最後には店主が貯金を切り崩してバイトの給料を払うに至った。

 

赤字の原因は私のような素人でもわかる。

生産性が恐ろしく悪いのだ。

 

1人・1時間でできる作業を、2人で同じ時間かけてやっている。だから店の規模に比べて、人件費が異常に高くなっているのだ

 

作った弁当の個数に対して給料を払うとか、時間に制限をかけて作業させるとかすればいいのだが、時給制だったのでゆっくり作業すればそれだけ給料が高くなるという矛盾したシステムが放置されていた。

 

しかし店主の信条をまっとうするには、そうせざるを得ないのだ。

 

「人助け」か「生産性」か

 

その店には、店主が知り合いから頼まれて雇っていたバイトさんが何人かいた。その人達は皆「手が遅い」「ミスが多い」かのどちらかだった。なかには「どちらも」という人もいた。

 

彼らのテンポに合わせても文句が出ないようにするには、時給制にするしかなかったのではないかと思う。もし出来高制にすれば、彼らと同じシフトになったバイトさんから「時間がかかりすぎる」と苦情が出る恐れがあるからだ。

 

思惑通り、その店はバイト間のいじめも険悪な空気もなく、和気あいあいと和やかな雰囲気だった。時間がかかればかかるほど給料が上がるのだから、文句の言い様がないのである。

 

店主には店主の事情や思いがあって、彼が思い描く「夢の職場」にしたのだろう。

 

しかし、やはりそれは「夢」でしかなかった。

 

店主は「ここは働きやすいと評判で、バイトさんも一人も辞めない」と自慢をしていたが、店の経営は上手くいかず、和やかな雰囲気があったものの、仕事に対するやる気や活気はなかった。

 

できる人もできない人も、同じ給与で同じ仕事をするには無理があると、その店にいてしみじみと感じた

 

経営を成り立たせるには、ある程度の「生産性」はどうしても必要だ。

 

全員の粒がそろっているか、あるいはできる者がその役を引き受けるかのどちらかになるが、引き受けるだけの利がなければ、誰も自分からは動かないだろう。

 

福祉的役割と利潤追求との両立はなかなか難しい。そう強く感じさせるような職場だった。店主の「経営手腕の無さ」が余計にそうさせていたようにも思うが。

 

ベーシックインカムの可能性

 

個人経営者が福祉的な役割を担おうとするなら、そこには公的な資金援助が必要になってくるだろう。NPOなどを立ち上げるのも手だが、もっと簡単に実現する方法がベーシックインカムではないかと思う。

 

世帯ではなく、個人に対して最低限の「住居費+食費」を保障する。金額にすれば月に10万円くらいになるだろうか。

 

それだけでは暮らしていけないが、これがあれば、そこまで高収入でなくても生活は可能になるのではないだろうか。ゆっくり働きたい人には、給料を落として働いてもうことができるのではないか。(もちろん、最低賃金の更なる引き上げも必要だが)

 

誰もが自分に合った働き方を選ぶことができ、どのような道を選ぼうとも、それで生活可能な収入を得ることができる。まさに店主が夢見た世界だ。

 

ベーシックインカムはその夢を叶えてくれるかもしれない。

ぜひ実現してほしいと願っているが、課題が山積みで、まだまだ先の話になるだろうな… 

 

これから先、コンピューターが得意な仕事は人間社会からどんどんなくなっていくだろう。高い能力が必要な一握りの仕事か、人間がやったほうが安くつく、そんな仕事だけになるかもしれない。

 

これはいわば天災のようなもなのだ。

 

個人には如何ともしがたい変化なので、より強力なセーフティーネットが必要だろうと思う。

 

夢の終点

 

件の弁当屋だが、オープン6年目にして閉店となった。

 

店は他の人が引き継ぎ、店主夫婦は新たな店主の元で「バイト」として働くことになった。

 

状況は悲惨だが、店主はバイトとして働くようになって表情が明るくなったように感じた。彼は「経営者」よりも「従業員」としての立場の方が合っていたのだろう。

 

何が幸せかは誰にもわからないものである。

 

店主の夢は破れたが、店主に幸多かれと願わずにはいられない。

夢の実現に尽力したことには違いないのだから。