毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

「境界知能の母親から生まれて」というブログ記事に激しく共感したことについて

 

 

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読んでいて「私の母のこと?」と思うほど、母そっくりな筆者のお母さん。

 

診断結果などの詳しい表記はありませんでしたが、『精神年齢が小学校3~4年生レベル』とのことなので、知的に障害があったことは確かなのだろうと思います。

 

ものすごく長くなってしまいますが、本文中で激しく共感した部分を抜粋します。

 

 

心理的虐待と愛着障害

「見えない子どもたち」というのは、そうした境界知能の母親から生まれた子どもたちを指しています。

境界知能じたいが気づかれにくい障害ですから、その子どもたちとなると気づくのはさらに困難になります。

しかしながら、人口の5%、つまり20人に1人の割合で存在していることになります。

とんでもなく分かりにくい母親との間で多くの混乱を抱えて生きているばかりか、愛着の形成がないので過酷な人生になることが多いようです。

 

愛着が形成される2歳までの大切な時期も、またそれ以降も、知的能力に欠ける境界知能の母親からは、私が心理的な支えや共感、つまりストロークを得ることは叶わなかったようです。

そしてこのような子育ては、心理的虐待に他ならず、私は「被虐待児」であると主治医からはまたもや思いもよらない指摘を受けることになりました。

主治医によると、子どもたちの多くは境界知能のため共感能力のない母親のもとでも生き延びますが、健全な愛着形成や基本的信頼の獲得は行なわれないとのことです。

境界知能の母親のもとは、きちんとした養育が受けられる環境ではありませんから、そこで育つ子どもは不安と緊張だけのひとりぼっちの人生になる可能性が高いようです。

 

境界知能の母親をもつ子どもの人生は、境界知能の当事者とはまた別の意味で過酷なものがあります。

愛着は、母と子の一瞬一瞬の交流の中で、母親から心理的な支えを与えてもらうことによって形成されていきます。愛着関係はその先の人生を生き抜いていくためにもっとも大切な基本装備、いわば「心の安全基地」です。これが形成されないまま育った20人に1人の「見えない子どもたち」は、基本装備を持たないまま不安に満ちた世界を生きていかなくてはなりません。

 

普通子どもの虐待というと、3、4歳の子どもが親からひどい暴力を受けたり、十分な食事を与えられずに死んでしまうことを想像しがちですが、0歳から2歳までの乳幼児が受けるこうした「見えない静かな虐待」、心理的虐待について私たちはあまりにも知りません。

虐待している側も気づかない、されている側も気づかない。
心理的虐待にはそういう側面があります。

 

他人のあら捜しや悪口がやめられない親

物心がつくころから、母親からは、父をはじめ、舅や姑、周囲の人たちに関する大量の悪口を聞かされて育ちました。

どうしようもないことですが、どんな母親であっても子どもというのは本能的に母親のことが大好きなのです。

子どもの私は、周囲の人たちを嘆き苦しむ母に、ただ黙って寄り添い、話を傾聴してきました。本当は耳をふさぎたくなるような内容の話ばかりでしたが、そうすることが子どもにできる唯一のことだと強く信じていたからでしょう。

 

母親は、たえず他人のあらを探さないと気がすまない人でした。

知的な問題を抱える母は、そうやって自分の価値を引き上げる必要があったのではないかと、今になって思います。

 

親の感情失禁と、大人の顔色をうかがってしまうこと

母はまた情緒不安定なところがあって、時に感情失禁を起こしました。感情をむき出しにしてわめき散らし、泣き叫び、手がつけられない状態に陥ることも少なくありませんでした。

以前は単なるヒステリーと理解していましたが、今はあれは感情失禁といった方がより近いような気がしています。

そして何よりも、母親のそうした姿は恐怖そのものでしたので、母がそういう状態にならないように、子どもの私はどれだけ母の顔色をうかがい、先回りして気を配っていたか分かりません。

 

精神年齢が幼い親

面接がはじまって2回目か3回目の頃でした。
「あなたは大人というものを知らない」
「あなたは人としての躾を、まったく受けていない」
という、まったく目の覚めるような、正しい指摘をいただきました。

 

また、いかなる家事にせよ料理にせよ、母が私に教えるということはありませんでした。

子育てもののYouTubeなどを見ていますと、親というのは、しょっちゅう子どもに対して何らかのコーチングをしていますが、私の母にはそういうところはありませんでした。
だからなのか、何をやっても、私は自信がありませんでした。
いつも堂々たる存在感を放つ人というのがいるものですが、その堂々たる存在感というのは、きっと母親から与えてもらったものなのでしょう。

 

思ってもみないような場面で、母親からはきょとんとした反応が返ってきて、子どもの私の方がかえってきょとんとすることがありましたが、それらについてはなぜか確認や追求をしたりせずにスルーしてきました。多くのことを確認や追求をせずにスルーした理由としては、感情失禁を起こされるのが怖いというのがあったと思います。

 

また母親は他人の悪口についてはよく口にしましたが、誰か身近な人物、たとえば私の祖母、つまり母の母親、あるいは夫などについて、少しでもまとまりのある人物評を語ったことがありません。

 

感情の握り潰し

母との関係をふりかえりますと、山のような違和感を私が握りつぶすことで成り立ってきた特殊な関係だったと言えます。違和感を握りつぶすために、私は相当に無理な心理的な操作を長年に渡って続けたことになりますが、それに気づいてくれる専門家は一人もいませんでした。

 

スキンシップの欠如

私の母親はかつて、幼児のような泣き顔になって
「ぎゅっと抱きしめてあげたいけど、それができないの」
と、ぽつんともらしたことがありました。

そう言えば、母にはスキンシップというものがほとんどなかったと思いますが、最初からなければ、子どもにとってはそれが普通のことになってしまうので、違和感を持ちません。つくづく本人が気づくというのは困難だと、あきらめに似た気持ちになります。

 

タブー視と救済

最後に、私が一番共感するのは次の引用文です。

 

境界知能の母親の問題に触れることは、一歩まちがえば、IQで人を、とくに女性を差別する優生思想に陥ってしまう危険があることを、私は認識しています。

「IQの低い女性は子どもを産むな、というのか」
などというふうに、メッセージが誤って受け取られかねない危険もあります。
こうしたことには十分気をつけなくてはなりません。

しかしそういうリスクを危惧するあまりか、専門家たちの多くは安全地帯に踏みとどまりすぎてはいないでしょうか。このテーマに関する専門家からの発信は、ほとんど見つけることができません。

境界知能の当事者が抱える困難については、宮口幸治氏らの著作によって、かなり光があたるようになってきました。
認知度も高まりを見せています。

けれど、境界知能の母親のもとで現実にいったいどのような養育がなされているのか、何が起こっているのかについては、まったくと言っていいほど発信されていません。
どちらかというとタブー視されているのではないでしょうか。

 

境界知能の母親から生まれ、育てられた子どもたちが味わっている、混乱や苦しみをこのままほうっておいてよいのでしょうか。
私と同じような混乱と苦しみを抱えた「見えない子どもたち」が、助けを求めて訪れた専門機関でもまっとうな理解が得られずに、あちこちさ迷っている姿がはっきりと脳裏に浮かびます。

私は精神科医や臨床家たちに強く求めたいと思います。
境界知能の母親から生まれた「見えない子どもたち」を「見えない」ままに見過ごしにしてしまわないでほしい。
もう少し感度を高めて、その背景を探り、理解し、適切なケアを与えてほしい。

 

最後に

「差別になる」とタブー視するあまり、子どもの権利や人権が無視され、困難の中にいる子供が大人からほおっておかれている現状には憤りさえ感じます。

 

差別があってはならないことは万人が分かっていること。

そのうえで厳しい状況にいること子どもを保護し、時には養子に出すことも視野に入れ、「親」の権利と希望ばかりに重点を置くのではなく、未来のある子どもを第一に考えて救済策を考えてほしいと思います。