もし私の母親があの母親でなかったら、
もし我が家がもっと穏やかで安心して暮らせる家だったら、
そう考える時がある。
もしそうだったら、私は自分の将来のことについて、もっともっと考えることができたのではないかと思ってしまう。
思い起こしてみれば小学生の頃から、私は自分自身や両親の事で悩んでばかりいたように思う。
母はなぜああなんだろう?
両親はなぜ喧嘩を繰り返しているんだろう?
私は母が言うように、ダメな性格の人間なんだろうか?
考えても仕方が無いことを悩んでばかりで、自分のこれからについて落ち着いて考えることが無かったように思う。
私は自分の将来について「温かい家庭を作ること」「子どもを大切に育てること」、この2点しか考えられなかった。
仕事は何をしたいだとか、何を学びたいだとか、そういう自分だけの将来を考えられなかった。
子供時代に得られなかったことを取り返す。
そのことに拘っていたように思う。
取り返さない事には、先へ進めないような気がしていた。温かい家庭を作って子どもを育てて、そうしてもう一度、自分を育て直す。
機能不全家族は、子どもの未来を奪う。
将来の自分について考える機会を奪うのだ。
家庭を機能不全にしてしまう大人は、未熟ゆえに子どもの心情を慮ることができない。
互いに相手を非難するばかりで、関係改善を考える知恵も余裕もない。
私の両親は、私の卒業式や試験、誕生日の前日でも一向に構わず大喧嘩をしていた。翌日は○○だから波風立てず、なんてことはできない人達だった。
子どもがどんなに暗い気持ちで卒業式に行くのか、そこに思いが及ばないんだろうか? どうでも良かったんだろうか?
両親の晩年、私は彼らの体調よりも、自分の都合を優先させた。
母の時は、手助けできない場所に逃げた。
彼らは共に、ずっと自分たちの都合を優先させてきた。
だから私も同じようにした。
母は「復讐しているのか!」とわめいたが、そうなのかもしれない。
そうなのかもしれないが、
こんなことで取り返せるほど、私があの両親の元で失ったものは小さいものではないのだ。