たまたま見た遠野なぎこさんの話。
「小学校時代に友達はいなかった。だって話が合わないですもん」
これを聞いて「あぁそうか、なるほどな」と思った。
私もこれだったんだな、って。
*この話に関しては14分40秒からは始まります。
小学生時代に友達がいなかったのは話が全く合わなかったから、と言う遠野さん。
「母親が不倫してるとか、彼氏と会うために家にいないとか、そんな話できないですよね、小学生って恋愛の話とかたわいのない話をしてるけど、うちの家族はそんなレベルじゃないし、こんな悩みを言えないですよね、だから話すことが何もなかった(*というような内容)」
これね、ちょっとわかる。
私は遠野さんほど悲惨な体験はしていないんだけど、でも小・中学生だった私の頭の中は、父母の大喧嘩、母親の奇怪さ、そしてダメだと言われる自分の事、とにかく悩み事でいっぱいだった。
アイドルがどうのとか、誰が好きとか嫌いとか、そんなことはどうでもいいと思うほど、いつもいつも悩んでいた。
だから同級生と話すことが無いんだよね。
無いというか、自分がしたい話ができないんだ。
だって私が話したいことって「悩みの打ち明け」だから。
そんな暗い話、誰も聞きたくないだろうし、母親がおかしい、夫婦喧嘩が恐ろしいなんて話、誰とでも共感し合える事じゃない。
だから同級生の話を傍で聞いていて、「私、それどころじゃないんだよね」って心のどこかで思ってた。
私が話したい暗い話ができるようになったのは、高校生になってからだった。
そこで初めて「友達だと思える友達」ができた。
大学生になると、私の話に興味を持ってくれる友達もできた。
その友達は、今でもまだ親友だ。
毒親育ちは、早く大人にさせらされる。
家の中の大人が「幼稚」だから、子どもが大人の役割を担ってしまうんだな。
大人になってしまった子どもは、もう「普通の子ども」とは合わなくなる。
こういう意味でも、毒親は子どもの子供時代を奪うんだよ。