母は「強い」ってことに拘っていた。
何事であれ、人に負けたくない人だった。
そして何より「心が弱い」ってことを憎んでいた。
だから精神疾患を患う人を忌み嫌っていた。
あれは心が弱いからなるんだって。
でもそれは違うよね。
心が弱いから精神疾患になるんじゃないよ。
精神疾患にならないから「強い」ってことでもない。
そもそも心が強い弱いって何?
心が鈍感ならいいの?
全て聞き流し、気にしないことが「心が強い」ってことなの?
「あんたはすぐ気にする」とよく母に怒られた。
自分は暴言を吐くのを止められない。
だから暴言を気に留めず聞き流せと言いたいのだろう(後年、実際にそう言っていた)。
もちろん相手の為じゃない。自分の為にだ。
自分が責められているように感じなくて済むように、だよね。
でもさ、
気にするなと言われて、気にしない事なんてできるの?
聞き流せと言われて、聞き流すことなんてできる?
なんならそれを、もっと幼い時に言ってもらいたかったよ。
そうすれば母の暴言が「真実ではない」って分かったかもしれないのに。
私が本当に「そういう事」で怒られている訳ではないと思ったかもしれないのに。
でも母にとって、子どもは人間の数に入っていない。
『子どもなんて何も気にしない、何も考えてない。』
それが母の持論だったから、
子どもにそんなことを言うなんて思いもしなかったのだろうな。
母は弱い人だった。
自分の弱さを自覚しないで済むように、人を攻撃することで胡麻化していた。
私にはそのように見えていたよ。
その姿はまるで、母親の後ろから悪口を言う幼い子どもの様だった。
相手を攻撃しては母親の後ろにパッと隠れる、そんなみっともない人。
そんな風に見えていたんだよ。
残念ながら「心の強い人」なんて思ったことは一度もないよ。
もっと正直でよかったのにと思う。
バカならバカで、弱いなら弱いで、それでよかったのにと思う。
無理して隠しても分かってしまう。
子どもはそこまでバカじゃないし、鈍感でもない。
「私はできないけど、あなたは頑張りなさい」
それでよかったと思うんだけどな。
結局のところ、
自分の弱みを見せられるほど、
あなたは「心が強くなかった」ってことだよ。