先日のメンタルクリニックでの話。
「母には何らかの障害があったのか、それともただの性格の悪い人、できない人だったのか、母の異常さの原因を知りたい」という私にメンクリ先生が言った言葉。
「発達障害や知的な問題があったかもしれないけど、それはもう分からない。たとえお母さんに何かあったとしても、それを知ってどうするんですか? お母さんのことはもう忘れて、あなたの人生を生きた方が良い」
それはそうなんだ、おっしゃる通りだ。
そもそも、診察できない人のことをどうこう言えないのは百も承知だ。
でも私は、どうしても先に進めない。
母の正体を突き止めない限り、
そこから先に進むことがどーーーーしてもできない。
そのことに何か理由を付けるとしたら、
それは私が「自分の人生」に納得してないからだろうと思う。
私が「私の人生」を生きていると実感できたのは、ここ数年のことだ。
知らぬ間に受けていた母の影響を脱することができたのは、ほんの数年前のこと。
若い頃のことは、思い出すだけでも恥ずかしい。
いい加減でちゃらんぽらん。
母のようになりたくない、そう思っていたにも関わらず母にそっくりな私。
もう消してしまいたいと思うくらい、昔の自分が嫌いなんだ。
大人になってから、いろんな人に注意を受けて一つ一つ直していった。
そして子どもを育てるなかで、自分も一緒に育て直した。
本当に基本的な事から一つ一つ。
時間を守る、
忘れ物をしない、
きちんと挨拶をする、
お礼を言う、
人から借りた物はきれいにして返す、
他人に配慮した発言をする、
穏やかににこやかに過ごす。
こんな、小学生でもできるようなことからやり直した。
そして何とか「どこに出しても恥ずかしくない」の半分くらいになったのが現在。
母は最期まで鼻で笑った。
「そんな事できんでもいいねん!」と強がりを言った。
もっとちゃんと育ててほしかった。
そう思うのはダメなこと?
親がいい加減でも、子どもは一人で「ちゃんと」育たないとダメなの?
親に「もっとこうしてほしかった」と思うのはダメなこと?
なんでも親のせいにしちゃダメですか?
子供時代に教えられるべきことを、
ほとんど何も教えてもらえなかった損失を思うと、
どうにもこうにもやりきれない。
「今、できるようになったんだから良いじゃないですか」
きっとメンクリの先生はそう言うと思う。
でもそういう事じゃない。
今できるからとか、努力したからとか、
そんなことで帳消しになることじゃない。
私が人生の前半で多くの恥をかいてきたことは絶対に消えない。
物凄く遠回りさせられたこと、
その時間的ロスと悔しさは絶対になくならない。
この憤りが、
母に固執してしまうて原因なんだろうと思う。
そうと分かっていても、
母への怒りを完全には止められないんだ…