毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

私の場合、余計なことを考えず淡々と暮らす為には働くのが一番なんだ

 

随分前だが、メンクリの先生とこんな会話をした。

 

「出来ない事を出来るようになりたい、明日は今日よりも『良い自分』になりたいと思わないんでしょうか? そのための対策や努力をしようと思わないんでしょうか?」

 

私が母に対して長年抱いてきた疑問をぶつけてみた。

 

すると先生は、

「自分が思っていることを、ほかの人全員が思っているわけではないですよ。自分中心に物事を考えない方が良いですよ。」

 

『自分中心に』という先生の言葉に愕然とした。

 

恥ずかしい話だが、私はそれまで、自分が『自分中心に』物事を考えたり捉えたりしているとは考えたことがなかったのだ。

寧ろそうならないように気を付けているんだと思っていた。『自分中心』は毒母の専売特許で、自分が同じ範疇に入るのは吐き気がするほ嫌だったからだ。

だから先生の言葉に、異常に反応してしまったのである。

 

自分中心に考えない

その人にはその人の考えがある

人は自分の思い通りにはならない

できるだけいつも『同じ調子』で生きる

ほかいろいろ…

 

その日の先生の話を要約すれば、「淡々と生きましょう」となるのかな。

 

淡々と…

 

淡々と生きるとは、余計なことを考えず、目の前のことに集中してこなしていくという事なんだろう。何事にも『捕らわれない』ということなのだろうと思う。

 

それは、私が最も苦手とすることである。

 

そうなるには、私の頭はあまりに『多動』過ぎるのである。

油断をするとすぐにあれこと考えが流れ出し、『頭の中がグルグル状態』になってしまうのである。

 

私は『捕らわれない』とは真逆の性格である。

目の前で起こったこと、人の行動などなどにすぐに捕らわれ、どうでもいいようなことを調べて知りたくなるのである。

 

例えば、

私には強い考えや方針が自分の中にあって、それを否定されたり、否定されなくても相手が全く違う(真逆の)考えだったりするとモヤモヤしてくるのである。

 

モヤモヤしていることを言葉や態度には出さないが、そのことが何日も頭から離れず、捕らわれてしまって疲れるんである。

 

別に自分の考えが絶対に正しいと思っているわけでも、賞賛されたいわけでもないのだが、…なんだろう? ものすごく気になるんだな。

 

『そういう風に考える人』はどういう人で、どれくらいの割合いて、どういう行動をして…などという、ほんっとにどうでもいいことを知りたくなるんだ。

 

なんというのかなぁ…

「これはこう」とはっきりしないとモヤモヤするんだな。気持ちが悪いというか…

 

こういうところ、私は父に似ている。そっくりである。

 

そういう父は、母と日常的に大喧嘩をしていた。

 

父にも母にも問題はある。

しかし父の擁護をするならば、「打っても響かない虚しさ」があったと思う。

 

母は物事を深く考えることがない、目の前で起こっている事実しか見えない人だった。

 

だから疑問や考えをぶつけても、何も響き返してこないんだな。その内「細かいことばっかり言ううるさい人だ、めんどくさい」となって怒り出す。

 

この夫婦、合わないんだ。

単純に性格が合ってない。

 

私が10歳の時、母は本気の離婚騒ぎを起こした。

数か月に渡って、父と私を置いて家出をしたのだ。

 

私は「離婚した方が良いよ」と思った。

母にはついて行かないけど、そうした方がいいと。父の親族も同じように思ったらしい(そのことを母は長年、恨みに思っていたが)。

 

まぁ、そのくらいこの夫婦は合わなかった。そんな父にそっくりな私もまた、あの母とは合わなかった。

 

話はそれたが、

メンクリの先生が言うように私が淡々と生きるためには、仕事をしているのが一番なんである。仕事をしている間が最も精神的に調子が良いのだ。

 

仕事は余計なことを考えている時間を奪ってくれる。

 

しかも私の『捕らわれやすい脳』は、働き出した途端仕事に捕らわれ、仕事のことでいっぱいになってくれるのである。他のことが入ってくる余地がないほどに(それがどんな単純作業でも)。

 

今は諸所の事情で家にいるが、一刻も早く働きたい。

用事が片付いたらアルバイトを探そう。

強力な精神安定剤である仕事をしよう。