先日メンクリの先生がこんなことをおっしゃった。
「これは推測ですが、お母さんは自分に共感してくれないことに苦しさを感じていたかもしれませんね」
言われてみたらその通りかもしれないが、私は今までそんなことを思ったことがなかった。
私は、家族や他人に対する母の攻撃は、自分の自尊心を守るための手段だと思っていた。少しでも自分を否定しようとするものを、先制攻撃のようにぶった切る。そうやって自分自身を守っている自閉的な人なんだと思っていた。
でもそこに「苦しさ」があるとは思っていなかったんだ。
なぜだろう? あの母と「苦しむ」という言葉が結びつかなかったからかもしれない。
母は絶対に自分の非を認めない人だった。
どんなことがあっても謝らない人だった。
母の思いやりのない暴言に子供が落ち込んだり気に病んだりしていても、「つまらない事」を気にする方が悪いのだと、子どもを攻撃するような人だった。
母はそんな自分の奇行を「正しい事」と自慢さえしていた。
「自分はこういう考えでそうしたんだ」と主張できる「強い人間」なんだと言っていた。
だからあの母が「苦しんでいる」とは、露ほども考えられなかったのである。
先生が言ったことは「憶測」なので、そうだったかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。しかし、もしそうだったとしたら、一体私たち家族は、母に対してどんな反応を示せばよかったんだろうか?
母には発達障害と、その二次障害としての強烈な「認知の歪み」があったと思っている。素人考えなので事実はどうだったのかはわからないが、このブログで何度も書いているように、「そうだった」と思った方が辻褄が合うことが多いのである。
精神障害に対しての理解のなさが、当事者の苦しみを生むと言われている。
それはそうなのだろうと思う。できる限り理解を深め、特性を知り、適切に対処した方がお互いに良いに決まっている。
良いに決まっているのだが、しかしあの母の、あの支離滅裂な主張や暴言の、どこに理解を示せばよかったのだろうか?
自分の感情をコントロールすることが不可能で、ストレスのすべてを目の前の家族にぶつけることでしか解消できず、しかも喚いた後には、喚いた内容やその前後の出来事まで、すっかり忘れてしまうのに。
周りの家族は振り回されるだけ振り回され、悩み苦しんでいるにも関わらず、当の本人はその全部を忘れるんだよ? こんなに虚しいことってあるだろうか。
そんな虚しさやバカバカしさ、言葉にできない諸々の感情に打ち勝ち、あの母の、どうしてもそうなってしまう特性に理解を示し共感するなんてことが、果たして家族にできるんだろうか?
こういう話をしていると、無性に辛くなる。
何故なら、私にも息子にも、うっすらとした特性があるからなんだ。毒母と同じじゃないかと、思うことがあるからだ。
私が母を「頭のおかしい人」と思うように、私や息子も他人から見れば「どこかおかしい人」と思われているのかもしれない。そう思うと苦しくなる。
苦しくなるから、ここでこの話はやめようと思う。グルグルと考えてもどうしようも無いことを考えるのはやめにしよう。