これまでにも何度も書いているが、
親が毒親で、その原因が脳機能障害にあった時、子どもは積もり積もった怒りや苦しさをどこに持っていったらいいのだろうか。
うちの毒親は診断を受けたわけではない。
だから「脳の機能障害」かどうかはわからない。
はっきりしていないのに「たぶんそうだろう」と思うのは間違っているのかもしれない。でもどう考えても、そうとしか思えないんだ。
きっと今後も診察を受けることはないだろうから、何がどうでああなのか、その原因は分からないままだと思う。
もし診断を受けて「そうだ」と決定したとする。
そうしたら毒親であることが毒親自身の責任ではなかったことになる。
そうなれば、ここでこんな毒を吐くこともできなくなる。
だってそれは「障害者に対する単なる悪口」になってしまうから。
毒母に対して怒ることもできない。
だって毒母の暴言は、本人の意思で言っているのではないから。
それってどういうこと?
あまりに酷い話じゃないか。
これまでの自分の苦しさは何だったのか、
「自分に非があるのではないか」と自分を責め続けたのは何だったのか。
障害が原因だからと言って、何をされても許せるものではない。
不快なものは不快だし、傷つくものは傷つく。
平気でいることはやっぱり無理だ。
「障害だとわかって、毒親を理解することができました」なんて記事を見ることがあるが、本当なんだろうかと思ってしまう。
毒親に痛めつけられたことで、失ったものがある。
それは自分に対する自信と肯定感。
毒親の無教育で得られなかったものがある。
それは「常識」と「正しい行いとは何か」ということ。
普通に育った人が普通に得られるものが得られない。
しかも、しなくても良い自己否定をし続けてしまうというおまけ付きである。
何をどう考えれば「理解する」なんてことができるんだろうか?
いったい「理解」の向こうに何があるんだろうか?
毒母は自分の言動を止められない。
だから何十年も他害(暴言)が続いている。
相手はいつまでも言いたい放題したい放題なのに、それでも理解して配慮しないといけないの?
それで何が変わるの?
私に「いい事」なんてあるの?
酷い差別発言だとわかっている。
でも、こっちだって苦しいんだよ。
他人だったら、さっさと関係を断てばそれでしまいだ。
でも身内はそう簡単なことではない。
だって親だよ、一体私にどうしろって言うんだ?
理解なんてしたくない、配慮なんて絶対しない、
そう思ってしまうのは毒母への「復讐」なんだろうか?
…たった一つ言えること、
誰の親にもなってほしくなかった、一人で勝手に生きていてほしかった。
それだけだ。