毒親が亡くなって2か月が経った。
前回「心底ほっとした」と言う話をしたが、その後の厄介について書こうと思う。
それは何かといううと、
「良いお母さんだったね」とか「寂しくなるね」などという、母の知り合いからの私に対する「慰めの言葉」である。
親戚や母の兄弟は母がどのような人物だったかを知っているので、あまりそういう事は言わない。しかし事情を知らない人は別である。彼らにとってはごく当たり前の、母親を亡くした娘に対する労わりの言葉なのだ。
彼らに悪気がないのはわかっている。しかしその「当り前の労わり」が心に堪えるのである。
「はぁ…そうですね」などと普通に受け答えはするものの、度重なると心が拒絶するようになる。「その言葉はもう聞きたくない!!!」と言う気持ちになるのだ。
私は母の死に対して、寂しくもないし残念でもないのである。毒親は私にとって「いい母親」でもなかったし優しくもなかった。だから「感謝しなくてはね」などと言われたくないのである。
だから実家の片付けをしている時も、なるだけ近所の人に会わないようコソコソとやっている。人の通る気配がするとそっと家の中に入ったり、なんだか怪しい人になっている。
でもそれくらい、もう聞きたくないのである。
昔、友達が言っていた言葉を思い出した。
その友達は幼い頃に父親を亡くしている。幼過ぎて父親の記憶はほとんどないとのことで、父親がいないことに関して「寂しい」などとい感情は特にないそうだ。
ところが子供の頃にさんざん「お父さんが亡くなってかわいそうね」と言われ、それが本当にいやだったと言っていた。「かわいそうね」と言われることで「あぁそうか、自分はかわいそうな子なんだ」と思ったと。
言葉って本当に難しい。
何も言わないのが一番なのだが、大人の作法としてそうもいくまい。
ではどんなふうに言ったらいいのかと考えてみた。
感情に関することには触れず、「いろいろとすることがあって大変だろうけど、疲れないようにね」くらいだろうか。
人が亡くなると手続きなどがたくさんあって、時間と労力を取られる。それに対して「大変だけど…」と言ってくれるなら、特に問題ないんではないだろうか。それ以外の言葉は本当にいらないな。
人さまからの温かい言葉掛けに対して大変申し訳ないのだが、それが毒親育ちの偽ざる気持ちなのである。
感情に関する言葉は、時に人を苛立たせることもある。人の事情はそれぞれ違う。だから、今起こっている事実だけを言った方が無難であろうと思うのである。