毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

親に承認されなかった心の傷は修復できない

 

実の親に受け入れられず、承認されなかった苦しみがどれほどのものか、毒親にはきっと理解できないんだろうと思う。

 

毒母は幼い私を徹底的に否定し拒否したが、母にその自覚はない。

 

しかしわざとじゃないからといって、気にせず通り過ぎることはできない。親が子供を否定したり拒否するのは、たとえ自覚がなくても罪であると私は思っている。

 

子どもの人格否定をする。

子どもの外見をからかう。

子供が好きな事に難癖をつけ否定する。

自分の近くに子供がいる事を嫌う(スキンシップは皆無)。

 

こんなことをされても、子どもは「自分が悪いからではないか」「辛いと思うのは思い過ごしではないか」と、先ずは『自分の至らなさ』や『気にし過ぎ』を疑ってしまうのである。

 

母はいつ何時、相手が誰であっても、「自分は絶対に悪くない」と思っている(そして強く主張する)人だった。謝罪や己の非を認めるなどと言う行為は、母の頭には一切存在しない。

 

それは相手が我が子であっても同じである。

 

子どもの言い分に耳を傾け対処してやる、などという『大人の振る舞い』などできるはずもない。

 

「私は悪くない、そんなことを言ってくるお前が悪い」「お前は細かいことを気にしすぎる」と言い募る(喚く)のである。しかもその行為を『自分の思いを主張する良い行い』だと思っているので、どうしようもないのだ。

 

そういう環境に長くいると自己評価が地の底まで下がり、その上、自分の人間性や性格に自信がなくなり、自分自身について果てしなく悩むようになるのである。

 

私は長い間、自分の性格に問題があるのだと思い込み、悩みに悩んだ。特に10代の頃は「死んでもいい」と思うほ辛かった。

 

自分を擁護するなら、毎日毎日母親に否定され拒否され続ければ、誰だってそうなるのではなかろうか。

 

毒母の子どもに対する非情な行いが、たとえ彼女の『特性』からくるものだったとしても、それが子どもに何の関係があるというのだろう。母の努力でどうにもできない事だったとしても、それがなんだと言うのか。

当たった親が悪かったと、親ガチャの不運を恨むしかないんだろうか。

 

毒親の問題は解決できない。

何故なら毒親には「聞く耳」がないからだ。まともに話ができる相手ではないからなんだ。

 

だから毒親の子は逃げるしか方法がない。

でもそれは子どもが「毒親はおかしい」と確信してからでしかできない。そうなった頃には、子どもはすっかり大人になっていて、人生の大半が過ぎてしまっていたりする。

 

あぁーあ、解決できない問題を考えるのは辛くて苦しい。

ただ虚しいだけのような気がする。