母は「結婚なんてしたくなかった」「子どもは好きじゃない」と言っていた人だった。多動傾向のある母は、本当は旅行家か船乗りになりたかったそうだ。
しかし1960年代初頭のこと、若い女性が結婚もせずにいることは許されなかった(例外はあるが、かなり厳しい立場だったと思われる)。
一生独身が許されないように、子どもを持たない者も同じように世の中から弾かれていた。
それは離婚に関しても同じである。
離婚は夫婦の問題であるにも関わらず、親兄弟、時には親戚まで口を出す。そしてそれは「離婚を阻止すること」に重点を置いている場合が普通だった。
そうやって既婚率や子どもの数は増えたかもしれないが、女性個人としてはどうだったのか。
社会共通の価値観が確立し過ぎている分、時流に乗ることができれば精神的な安心感を得られたかもしれない。迷わなくてよいと言うか、どの道を行こうかと決める必要がないだけ楽な面もあったのではないかと想像する。
しかしその半面、母のように時世と合わない人は大変だったろうと思う。
反発するだけの能力のある人ならいいが、たいていの女性は親の言う通り見合いをし、結婚・出産・専業主婦の道を歩んだのではないだろうか。
ガチガチな世の中で結婚や出産に向かない人がその道を行くためには、「私は世間的に正しいことをしている」と声高に主張することで、自分を納得させるしかなかったのではないだろうか。
少子化が叫ばれて久しいが、子どもの数を増やすためにもう一度昔に戻ればいいとは微塵も思わない。
結婚・出産・育児・離婚、すべて個人の裁量である。
子どもを産むか産まないか、自分で育てるのか人に託すのか、それもまた個人の裁量であって他人が口を出したり無理強いさせることではない。
何かを「したくない」と強く思うのは「自分にはできないだろう」という予感である場合がある。「やってみたら案外できるかもしれないよ」は、結婚はまだしも育児にだけは適用しないでもらいたい。
無理強いさせて被害を受けるのは、本人だけではない。
パートナーとなった配偶者も、その人の元で養育される子どもも甚大な被害を受けることになる。
最悪「やっぱりだめだ」と思ったなら、すぐさま子どもを他人に託してほしい。そのためにも社会は『子どもは実の親が育てるべき』という呪縛を解いた方が良い。
結婚・出産・育児について、社会はもっと柔軟になってほしい。
3つのことは繋がっているのではなく、別々の事として扱ってほしい。
結婚しなくても子どもを産んでもいいし、育ててもいい。子どもを育てたいという他人が育てても良い。全部ではなくて、どれか一つだけしたいという人がいてもいいと思う。
既存の枠組の中で対策を推し進めても、子どもは増えないだろう。固まってしまった『家族』のあり方を崩さないと、子どもは増えないと思う。