毒母が残した実家の整理をしていると、外から大声で呼ぶ声がした。
出てみると、それは毒母の友達『毒友』だった。
毒友は「庭の雑草が伸び放題だ」とか「いろいろ聞いていたよ」などと、話の合間に嫌味を入れることを忘れない。
「心配していた」というものの、話の内容は私に対する嫌味でしかなく、母が毒友に何を話していたのか想像がつく。たぶん自分に都合が良いように、私の悪口を言っていたと思われる。
嫌味を言いに来たのなら帰ってもらいたいものだ。
嫌味もさることながら、「お母さんははっきりものを言う人だった」などという、「毒友にはそんな風に見えていたんだ」とびっくりするような高評価を聞くのも嫌なのだ。(「よく切れられたわ~」と笑っているのも理解不能だが)
この母の一番の毒友は、どことなく母と似ている。
中でも嫌なのは、顔に表情がないことだ。表情がないと言うか、不愛想なのだ。表情がない上に不愛想なので、嫌味が余計に嫌味に聞こえるのである。言っている内容もいい加減で投げやり。そういう所も母に似ている。
母の毒友達は昔から嫌いだったが、母が亡くなった後もあれこれと言ってやってくる。
普通なら「気にかけてもらって有難い」と思う所なんだろうが、何せ『毒友』である。有難いわけがない。まるで『毒母の亡霊』である。亡くなった後も嫌な思いをさせてくれる。
残った実家をどうするか迷っていたが、この日、売却することに決めた。
もうこれ以上嫌な思いをしたくないのである。毒親とも毒友とも、延々におさらばしたい。亡霊の潜む住処など、さっさと手放そうと決めたのだ。