先日、母方の叔母に会った。母が亡くなって、初めて二人で話をした。
私は子どもの頃から叔母が好きだったが、母に気を遣って叔母と二人で会ったことも、話したこともなかった。母が亡くなったことで重しがなくなったというか、親戚とも、自分が会いたければ会っていいのだと思えたのだ。
話の中で、叔母も母について、私が思っているのと同じことを感じていたんだと知った。
その場にそぐわない事や、相手を傷つけるようなことを言ってしまうこと。それをやんわりと注意したり、発言を止めたりすると激しくキレること。自分の意にそぐわない事態になると、文句や暴言が止まらなくなること。
叔母も母の「突然キレる」には相当に参っていたようなのだ。
それは兄弟の配偶者も同じで、母は「私の方から縁を切ってやった!」と強がりを言っていたが、やはりそれは逆だったようで、叔母や兄弟の配偶者の方が母と距離を取っていたのだという事が分かった(思っていた通りだった)。
ある出来事(母が最期まで恨みに思っていた兄弟間のいざこざ)についても、母から聞いていたのとは実際の状況が全く違っていたことも分かった。
簡単に言えば、母の不適切な発言による「場の空気ぶち壊し」と、思っていた通りにならない事への暴言と、「私をのけ者にしている」という母の思い込みが原因だったのだ。
母は、自分の不適切極まりない発言が「不適切だ」と気が付かないし理解もできない。
母としては普通に話をしているだけなのに、周りから注意をされたり、発言をやんわりと止められたりすると、「いじわるをされた」「のけ者にされた」と感じてしまうのだろうと思う。
姉妹がいる前で姉妹の配偶者の実家を批判したり、兄弟の再婚相手がいる前で前妻の話をしたり、「なんでわざわざその話を今ここでするの?」と理解に苦しむのだが、母はその不適切な感じが全く理解できないのだからお構い無しに繰り返すのだ。
「激しい性格だったよね」と叔母が言うので、「あれは性格の問題じゃないと思う。性格が激しいだけでは、あんな風にならないと思う。精神に何かの障害があったと私は思ってる」と私は言った。
「そうかもしれないね」と叔母も言った。
私は叔母と話したことで、母を「何かおかしい」と思っていたのが自分一人ではなかったことを初めて知った。そのことが嬉しかった。
でも贅沢を言うと、もっと早くこのことを知りたかったとも思う。幼稚園や小学生の頃に知っていれば、私は精神的に救われたのではないかと思う。
「母に気を遣って叔母に会えなかった」と書いたが、別に母が「会うな」と言ったわけではないのだ。
ただ、母は叔母の事を滅茶苦茶に批判していた。叔母だけではない。叔父たちの事も、散々悪く言っていた。
親が悪く言っている人に個人的に会うって、何だかできなかった。親を否定するようで、私にはできなかったのだ。母方も父方も、個人的に話をしたい人は沢山いたけれど、すべて同じ理由で会えなかった。
もし会えていたら、「母がおかしい」ってことに賛同してくれたんじゃないかな… そしたら私は、あんなに自分を責めなくても良かったんじゃないかな…
そんなことを思った一日だった。