この話題も何度も書いたが、
母は言葉の使い方や、言葉を話すときの感情表現が変だった。
感情と言葉と口調が一致しない時がしばしばあって、褒めようとしているのに口調が「嫌な感じ」だったり、質問しようとしているのに、言葉使いや口調が怒っていたり。
本人に悪気はないのだろうと思う、たぶん。でも言われた方としては、実に嫌な気分になるのだ。
以前にも例として書いたが、例えばこんなこと。
我が子と母と三人で食べようと思って用意したお昼ご飯。きんぴらごぼう・冷奴・キャベツとミンチのミニ春巻き。こんな感じのお惣菜を作って持って行った。
すると母はこう言った。
「こんなもんばっかり食べてたら痩せていいやろな」
口調が”嫌な感じ”というおまけ付き。
「こんな貧相なおかず嫌やわ」と聞こえるのは、私がおかしいのだろうか?
「思ったことを言っただけだろう」と平気でいられないのは、私の気にし過ぎなんだろうか?
母といると、こういうことが多発した。
なんだか嫌な気分になるなぁ…傷つくなぁ…
そのうち「どうすれば嫌なことを言われないだろうか?」と、必要以上に母の顔色を気にするようになっていた。持っていくもの、着ていく服、ふる話題、ほかにも色々。
でもどんなに気を付けても、たいてい何か文句(とこちらには聞こえる)を言われる。げんなりするけれど、母にしてみれば「思ったことを、ただ言っただけ」なんだよね…
母と接している時、よく思った。「なんでいつも私ばっかり?」って。
私だけが我慢したり、私だけが言葉を飲み込んだり、母がぶち壊した場の空気を修正したり、母がなぎ倒した人間関係の仲介をしたり、なんでいつも私ばっかりそんなことをしてるんだろう?
母に言わせれば、「そんなこと頼んだ覚えはない」らしく、「嫌だったらほっといたらいい」らしいのだ。
なるほどな、ほっといたらいいんやな。それならそうしようと、ほっとくことにした。
私が大病を患ったこともあって、母とはゆるく縁を切ることにしたのだ。そのことも、ちゃんと母に宣言した。
ところがそれから7年後、「お前は私をほったらかしにしている!」と切れられた。
「またか…」と思った。また全部忘れたんや…
”私だけ”が事の経緯を覚えていて、”私だけ”が、母の言ったこと、自分が言ったことを覚えているんだ。
「なんで私だけ…」
これってカサンドラ症候群の症状らしい。
何をどうしても改善されないことに「なんで私だけ?」と空虚な気持ちになって、激しい徒労感に襲われると言う。
そうか…
長年母と接することで、私は立派な「カサンドラ症候群」になっていたのかもしれないな。そりゃしんどいわけだ。
母が亡くなって数年経つが、少しずつ「本来の自分」になりつつあるように感じる。誰かに忖度することなく、自分の思いや気持ちに正直に、考えたり行動できるようになってきたように思う。
カサンドラ状態から、少しずつ立ち直っているのかもしれないな…