あけましておめでとうございます…
と言いたいところだが、そう言えない事態になった。
件の「毒母」が昨年の暮れに亡くなったのだ。
お正月にする話ではないなぁ…と思いつつ、ここは所詮、愚痴の掃き出し口。「まぁいいっか」てなことで続けることにする。
亡くなる数日前に電話があって、相変わらずの「嫌味」を言われて切ったのが最後。その時は言い合いはせずに、こちらが折れた。
お正月に会うことになっていたので、「嫌だなぁ…会いたくないなぁ…」と思っていたら、数日後の深夜、亡くなったとの電話が入った。
不謹慎なことかもしれなが、不思議なくらい悲しさはなかった。悲しくないどころか、心の底からホッとした。
介護することなく亡くなったのは、神様からの贈り物だと思っている。
今でも、ラインの通知音、電話の呼び出し音が鳴り響いた時、一瞬ドキッとする。少しだけ心臓がバクつく。
「あぁそうか、もうあの人から連絡が来ることはないんだ。もうバクつく必要はないんだ」
そう思うと、心底ホッとする。
これでやっと、自分だけの人生を歩めそうな気がする。
自分の事だけを考えて、家族の事だけを考えて、したいことをして自由に生きていけるんだ。
ケチを付けられることも、嫌味や暴言に苦しめられることもない。厄介ごとを押し付けられることもない。あの人の思い付きや、行き当たりばったりの行動に振り回されることもない。
晴れ晴れとした自由がここにある。
人が聞いたら「なんて親不孝な娘だ」と思うだろう。
でもこれが正直な気持ちなんだ。
あの人に対して、私はもう十分にやった。
幼いころから愚痴の聞き役に徹し、不満や不安のはけ口になってきた。精神面での「ヤングケアラー」の役割を担ってきた。
もう十分だろうと思う。
「ホッとした」と言ってもいいと思う。
お葬式で泣かなかったのは始めてだった。
あの世からそんな娘を見て、あの人はどう思っているだろうか。
きっと「薄情な子や」と悪態をついていることだろう。だけど、もうその声も姿も見ることはない。だからもう、どうでもいいや。
私を苦しめ続けたお母さん、
さようなら、永遠に…