毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

2023年が始まりましたが、新年早々暗い話をしようかな…

あけましておめでとうございます…

と言いたいところだが、そう言えない事態になった。

 

件の「毒母」が昨年の暮れに亡くなったのだ。

 

お正月にする話ではないなぁ…と思いつつ、ここは所詮、愚痴の掃き出し口。「まぁいいっか」てなことで続けることにする。

 

亡くなる数日前に電話があって、相変わらずの「嫌味」を言われて切ったのが最後。その時は言い合いはせずに、こちらが折れた。

 

お正月に会うことになっていたので、「嫌だなぁ…会いたくないなぁ…」と思っていたら、数日後の深夜、亡くなったとの電話が入った。

 

不謹慎なことかもしれなが、不思議なくらい悲しさはなかった。悲しくないどころか、心の底からホッとした。

 

介護することなく亡くなったのは、神様からの贈り物だと思っている。

 

今でも、ラインの通知音、電話の呼び出し音が鳴り響いた時、一瞬ドキッとする。少しだけ心臓がバクつく。

 

「あぁそうか、もうあの人から連絡が来ることはないんだ。もうバクつく必要はないんだ」

 

そう思うと、心底ホッとする。

 

これでやっと、自分だけの人生を歩めそうな気がする。

自分の事だけを考えて、家族の事だけを考えて、したいことをして自由に生きていけるんだ。

 

ケチを付けられることも、嫌味や暴言に苦しめられることもない。厄介ごとを押し付けられることもない。あの人の思い付きや、行き当たりばったりの行動に振り回されることもない。

 

晴れ晴れとした自由がここにある。

 

人が聞いたら「なんて親不孝な娘だ」と思うだろう。

でもこれが正直な気持ちなんだ。

 

あの人に対して、私はもう十分にやった。

 

幼いころから愚痴の聞き役に徹し、不満や不安のはけ口になってきた。精神面での「ヤングケアラー」の役割を担ってきた。

 

もう十分だろうと思う。

「ホッとした」と言ってもいいと思う。

 

お葬式で泣かなかったのは始めてだった。

 

あの世からそんな娘を見て、あの人はどう思っているだろうか。

 

きっと「薄情な子や」と悪態をついていることだろう。だけど、もうその声も姿も見ることはない。だからもう、どうでもいいや。

 

私を苦しめ続けたお母さん、

さようなら、永遠に…