うちの毒母は「子どもにおもちゃを買うなんてもったいない」と思うのだそうだ。
そういえば私が幼い頃、母に「おもちゃ」を買ってもらった記憶がない。
自分から「これが欲しい」と言って買ってもらったものは、今でなら数百円くらいのパズルや塗り絵、折り紙の本とかそういうものばかりだった。
「ちゃんとしたおもちゃ」を買ってくれたのは、たいてい父方の祖父だった。
1年に数回、自宅に遊びに来た時には必ず何かのおもちゃを買ってきてくれた。
リカちゃんファミリーやリカちゃんハウス、当時はやっていたメイクセットなどももらった。ハーモニカや木琴などの楽器、子供用の自転車(天地真理のシンデレラ自転車)もあったなぁ。
こうして書いていると、幼児の必需品は、ほとんど祖父からもらっていたことになるな。
そういえば、母に何かをねだった記憶もあまりない。
母は何も気が付かない人なので、はっきり「ほしい」と言わないとわからない。いや、言っても買わない。
母に強くねだったのは「リカちゃんの双子の赤ちゃん」と「ピアノ」だけだ。
「双子の赤ちゃん」に関しては、「テストで100点取ったら買ってやる」と言ったので、私は100点を取って約束通り買ってもらった(小学校の簡単なテストです)。
もちろん「偉かったね」などという褒め言葉なんてない。
お金をもらって一人で買いに行ったのを覚えているだけだ。
ピアノもなかなか買ってもらえなかったので、と言うか、習うことを許可してもらうのに2年かかったので…それも叔母の口添えでやっと。
だからピアノも、「そろそろピアノで練習しないと」と先生から言われ、しぶしぶと言う感じだった。
とにかく、幼い子どもにお金をかけるのが嫌だったんだろう。
遊んだり食べたりすることにはバカほどお金をかけるが、子どもの事には本当に渋かった。
だから母が「あれもしてやった、これもしてやった」と言うのを聞くと、非常に複雑な気分になる。
それはたいてい、遊園地に連れて行ったとか旅行に行ったとかで、自分がしたいことの延長だったんじゃないの?と思ってしまうからだ。
母は多動の傾向があるので、今も昔もしょっちゅう出かけている。
出かけても、別に子どもと一緒に遊ぶわけではない。
子どもはほっておかれるか追っ払われるかのどちらかで、インドアな私としては何も楽しいことはないのだ。
私はそもそも遊園地のような騒がしい場所は嫌いだし、乗り物もスピードが怖くて乗れない。
母が疲れて切れるので、家族旅行も好きではなかった。
土日の度にうろうろと外出に付き合わされるのは、うんざりしていた時期もあった。
母は子供の好きなことなんて知らないし、知ろうともしない。
小さな子どもが何かに熱心にしていたら「この子はこういうことが好きなんだな」と気づいて、そういうものを買い与えるとかすると思うんだけど、母は全く気が付かない。
私は幼い頃毎日のように工作やお絵描きをしていたんだけど、母にそれを言うと「え? そうだったの?」と言われたくらいだからなぁ…
そして表題の通り、
「子どもにおもちゃなんて買うのはもったいない」と言うんだ。
そんな風に幼い頃にはお金をかけなかったのに、子供が大人になってから現金を配っている。
これってどういうことなんだろう?
お金に余裕ができたということもあるんだろうけど、単純に「感謝されたいから」じゃないの?と、穿った見方をしてしまう。
小さい子供にお金をかけても少しも感謝されない(と毒母は思っている)が、大人にお金を配れば感謝される。そう思っているんじゃないのかな?
いい歳の大人が親からお金をもらって喜ぶ。
それを良いことだと思っているんだろうか?と疑問に思う。
困った時に助けてくれるのはありがたいけど、そうでなければ毒親からお金をもらってもそんなにうれしくないのが本音だ。
だからと言って受け取り拒否をすると怒り出すからなぁ、おまけに「感謝がない!」と切れるしね。
お金って人を「縛る」ことになると思うんだけど、毒母はそう思わないのかな?
毒母のやることって、いつも何かが違うんだよね…