うちの亡き毒親はなぜ毒親だったのかを、振り返ってみようと思う。
母は文句の多い人だった。
物に対しても、人に対しても、不満や批判ばかり言う人だった。
的を射たもっともだと思うような批判ならまだしも、母の批判は大概が【超主観的】で、思い違いや思い込み、自分の好き嫌いからくるものでしかないので、それは単なる【攻撃】でしかなかった。
したがって母の傍にいると常に不条理な攻撃を食らうので、徐々に精神が病んでいくのである。
なぜあの人はあんなに他人を攻撃していたのか?
自分は正しい、自分は悪くないと確信するための自己防衛だったのか?
それとも、気になったことから目をそらすことができず、いつまでも【批判】と言う形で拘っていたのか?
今となっては確かめる術もないが、大した理由などないという事だけはわかる。思いついたことを思いついたままに、周りの状況を考慮することなく衝動的に発言していたのだろうと思う。
しかし、悪気がないから許されるとか、罪が軽減されるなんてことはない。
受けた側には理由なんて関係ないのである。「相手に悪気がない、ならば受けた傷が軽くなる」、そんなことはありえないからである。
私は今でも、私の生きにくさの何割かは、あの母に起因していると思っている。そのことで私は、母を恨み憎んでいる。
あれもできない、これもできない、お前はほんとうにダメな子だ。
そう暗に言われ続けたことによって、私は自己評価と肯定感が恐ろしく低い。(言った本人にその自覚は全くない)
自分は何のために生きてるんだろうかと、思ったこともある。
何とかしようと努力に努力を重ね、それでも母が「良い」と言うような人にはなれなくて絶望していた10代。
母が「良い」と言うのは、簡単に言えば「分かりやすく自慢できる子供」である。
人前で派手なパフォーマンスをして「○○ちゃんはすごいね」と言われるとか、外見が美しいとか、友達が100人いて毎日家に押しかけてくるとか、そういう【わかりやすい子】なんである。
私が「すごい人」と思うような人、例えば、頭が良くて勉強ができるとか、思慮深く利発であるとか、思いやりのある優しい子とか、そういうことではないのである。母にはそういう事が理解できないので、自分が理解できないことはどうでもいいのである。
むしろそういう種類の子供を嫌っていた。
大人びていて生意気だとか、勉強ばっかりして面白くない子だとか、人に媚び売ってるとか、とんでもない思い違いをする人だった。
自分が理解できない事、自分ができない事をに関しては徹底的に否定・批判・拒否をする人だったので、子どもに対しても抜かりはないのである。
そしてこのことは副作用として、子どもの価値観や常識をゆがめてしまうことにもなるのである。