発達障害についてのあるサイトに、ASDの女の子の話が載っていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ある日、女の子が家族と一緒にショッピングモールを歩いていると、どこからか美味しそうなお菓子の匂いが漂ってきた。すると女の子はいきなり怒りを爆発させた。
「こんな臭いを充満させて! お腹がすいている人の迷惑になるじゃないの!」
傍にいた母親がつかさずフォローする。「○○ちゃんは、あのお菓子が食べたかったのね。お腹がすいていたんだね。」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
この話を読んで「母親と同じだ」と思った。
「あら、いい匂い! 食べたいわぁ~」で済むものを、この女の子は怒りで表現してしまう。同じように母も「なぜそんなことで怒るのか?」ということで怒っている人だ。
いつも素敵な服を着ているおしゃれなご近所さんのことは、
「ちゃらちゃらした格好をして!」と怒っている。
勉強ができるご近所の子には、
「勉強ばっかりして何が楽しいのか!」と文句を言っている。
料理が得意な人には、
「家の中でごちゃごちゃ料理なんかして! あんなん買った方が早いわ!」
そんな風に、ありとあらゆることに「いちゃもん」をつけて怒っている。
でもこれってすべて、「怒り」とは全く別の感情が元にあるんだろうね。
母の場合は、「羨ましい」とか「不安な気持ち」とか、そんな所だろうと思う。
他人と自分を比べずにはいられない人だから、あらゆることを比べては不安になって、羨ましくなって、その感情をすべて「怒り」として表現するのだろう。
そして自分がそう思わないで済むように、家族にも「勝つこと」を要求してくる。
「勝つ」の基準は、社会一般の価値観とは関係がない。母が「〇〇さんに勝った!」と思えたらそれでいいのだ。
母の「スカッとしたい」という勝手な思いに、家族はいつも振り回される。
そんなにイライラするのなら、いっそ人と付き合わなければいいじゃないかと思うのだが、付き合わないと「気持ちがザワザワする」らしい。つまり不安になるんだ。
人と付き合わないと不安になる。付き合えば「負けてるんじゃないか」とイライラする。どうしたって不愉快な気持ちからは逃れられないんだな。
本人が不安だろうが何だろうがどうでも良いが、巻き込まれる方はたまったものではない。
サイトの例に上がっていた女の子は、小さい頃から家族が懸命なフォローを続けている。女の子自身が、怒りに隠れた自分の感情を理解できるよう尽力されている。
この女の子はこれから先も、怒ることを止められないかもしれない。
でも怒ってしまった後に「ごめんなさいね、厭な言い方をしてしまった」と、謝れる人にはなるだろうと思う。
世の中、この女の子の家族のように、優しく助言してくれる人ばかりではない。
でも、他人からの指摘は宝なんだ。「言ってくれる間が花」とはよく言ったもので、その内あきれ果ててほっておかれるようになる。
耳が痛くても、気分が悪くても、他人の助言や指摘には耳を傾けた方が良い。
「そんなことない! 私は悪くない!」と言い続けた結果、家族や身内から避けられるという憂き目が待っているのだ。
そうなってしまってからでは遅いのだ。