もうすぐ一回忌
毒親だった母が亡くなって1年が経とうとしている。
私の、ある事への対処の仕方を非難する電話があって、その数日後に母はあっけなく旅立った。
心疾患のあった母は心臓発作を起こしたのだ。
悲しさも淋しさも、不思議なくらい起こらなかった。
感情移入の激しい私は、誰の葬式でも必ず涙ぐんでしまう。
そんな私の、唯一泣かない葬式だった。
時間が経てば淋しさが込み上げてくるかと思いきや、この1年、全くない。
母が亡くなったと聞いた時の感情のまま、今も何も変わらないのだ。
子どもを可愛がれなかった母への思い
もっと早くに母を諦めていたら…
ブログでも何度も書いているが、本当にそれが悔やまれてならない。
私は「振り向いてくれない母親」を振り向かせるために必死になっていた。そのために人生のほとんどを使ってしまったようにさえ思う。
実際のところ、
私の母は「振り向かない」のではなく「振り向けない人」だったのだろうと思う。
情緒的な関係を築けない人だったのではないかと思うのだ。
子どもに触れるのも触れられるのも嫌い。
「可愛いね」とか、そういう優しい言葉を口にするのも、優しい態度を取るのも大嫌い。
子供相手でも平気で暴言を言ってしまう。
私の母はそういう人だった。
確かに、
私の事を気遣ってくれる事も多々あった。
特に子ども(母にとっては孫)の面倒はよく見てくれた。
お金の面でも支援してくれた。
「なんだ、ちゃんと気遣ってくれてるんじゃん」と思われるかもしれないが、何かが違うんだ。
「何かが違う」という思いを上手く言葉で説明できないのがもどかしいのだが、情緒的なものが欠落している場合、どこか「他人からの気遣い」のように思えてしまうのだ。その行為の向こうに「親の愛」を感じない、と言えばいいのか…
例えば、一年に一回しか会わない親戚から「これ、お年玉」ってお金をもらったとして、「ありがとう」とは思うが、それ以上の感情ってなくない?
友達が引っ越しの手伝いをしてくれたとして、「ありがとう、助かったわ」と感謝するけど、それ以上の感情って沸く?
どれも「たすかったわ、ありがとう!」だけなんだよ。
「親子間の愛情」って、そういうものじゃない気がするんだ。
私が母に願ったことは簡単なこと
頑張ったね、偉いね、可愛いね、と優しく頭を撫でられたい。
私が母に願ったことはそれだけだった。
親戚のおばさんや友達でもできるような支援は無くてもよかった。
お金の支援も無くていい。
私の願ったことは「私を可愛がって欲しかった」ってことだけなんだ。
私はその願いを叶えるために、母が痴呆症にならないかと願ったこともあるのだ。
私の事を忘れてしまえば、あの冷たかった母に寄り添う事ができるかもしれない。
母をそっと抱きしめ、甘えてみたい。
でも私のそんな願いは叶う事はなかった。
最後の最後に母を諦めた
母が亡くなってどうしてこんなに悲しくも寂しくもないのかと言えば、私が母の事を諦めたからだろうと思う。
どれだけ願っても追いかけても、母は振り向かないし振り向けない。
母は発達障害かもしれないと思った時、私は母の元を逃げ出し、母を諦めることにした。
母がいてもいなくても私の願いが叶う事はないし、私の淋しさが解消されることもない。だから母がいなくなっても、私の感情は揺れないんだろう。
子どもの頃からずっと悲しくて寂しかった。
母からの愛を”感じることができなかった”子供としての私。
そんな私が「私」であって、これからもその寂しさと一緒に生きていくんだろうなと思う。
誰のせいでもないと言えばそうなんだ。
…誰のせいでもない。
ただ通じ合えなかった親子がここにいただけなんだ。