毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

時間概念の欠如? 衝動性ってそういうことなんだろうか?

 

以下は、母親が知的障害という方のブログ、『esnusnのブログ/知的障害者の母親をもつということ』の一節です。

 

ameblo.jp

 

ブログからエピソードを引用させて頂こう。

 

ひろ江:29歳
陽子 :2歳

 

ある夏、家族で海水浴に来ている。陽子は砂を集めて山を作っている。

ひろ江は2~3メートル程はなれた所で娘を見ている。


陽子がふと顔をあげると母の姿がどこにもない。

陽子は泣きながら母を探し始める。

砂浜は熱くて足の裏が痛いが、陽子は泣きながら母を探す。

しばらくすると、ひろ江が遠くから歩いてくる。


陽子は泣きながらどこに居たのかと尋ねると、ひろ江は

「旅館にタオルをとりに帰った」 とすましている。

まったく悪びた様子もなくニコニコして答える。

陽子は2歳ながらにして、母に疑念をいだく。

考察:


ひろ江は、先を読んで行動することが出来ない。

数分先の事も予測できない。

短期スパンの時間軸の中で生きている。

 

海岸に2歳児をとりのこしたら、何がおこるか想像が出来ない。

思った瞬間に行動をするのみである。判断能力もない。

たまたま陽子は誰にもさらわれず、事故にもあわず、

幸運の結果として何事も起こらなかっただけである。

 

この話、共感しかない…

 

うちの母も「そうした結果どうなるか」が予測できない人だった。「今、ここ」にしか頭が働かないので、「結果は起こってからわかる」という事が多々あった。

 

分かったところで「内省する」という事がない人だったので、すべて「周りの誰か」が悪い事になるのだが。

 

例えとして、私が幼い頃のエピソードをあげてみるとこんな感じである(過去に書いたものと重複する)。

 

①交通事故に遭う(4歳か5歳の頃)

 

家の近くで2tトラックにはねられる、という事故に遭った。

 

当時の家の近くには片側1車線の道路があって、トラックなども通るそこそこの交通量の道路だった。

母はその道路の向こう側で、近所のママ友と井戸端会議をしていた。

 

私は最初、家の前で洗車をしていた父の傍にいたが、何か思うことがあったのか、母親のもとに行こうとして道路に飛び出したのだ。

 

事故が起こった時、「あんたがちゃんと見てないからや!」と母は父親に怒鳴り散らしたそうだ。

 

幼い子供が傍にいる時は、飛び出しの危険性を考えて、親はできるだけ道路の向こう側に立たない事は、子育て中の親なら常識であると思う。

 

母にはそういった「常識」が分からない上に、「今・ここ」の「井戸端会議」に夢中で、子どもの事は完全に忘れているのである。

 

「結果」が起こってからは、盛大な言い訳と自己弁護を始める。<父親の傍にいるから安全だと思った。父親が見ていないから悪い>となる。

父も悪いが、自分も悪いのではないか?

 

 

セミナー会場から一人で帰らされる(4歳)

 

何かのセミナーかバーゲンがあって、母・祖母に連れられて会場に行ったが、子どもは入場できないと言われた。

 

そこで私は一人で家まで帰ることになった。

家まで徒歩20分くらい。子どもの足ならもっとかかったかもしれない。

家に帰るまでには幹線道路もある。

しかも家には誰もいない、4歳の子供が一人で長時間の留守番である。

 

不要不急の用事を優先した母と祖母。

これも「今・ここ」に集中してしまって、数分後の「結果(可能性)」<誘拐、迷子、事故など>を予測できていない。

 

③【子供にとって危険なこと】の認識がない

 

子どもや女の子にとって【夜】は危険だ

こんなことは誰でも知っている常識だと思うが、母にはその認識がなかった。

 

幼稚園や小学校低学年の子供に、田舎の夜道を歩くような用事を平気で言いつける。子どももだんだん、夜に独りで出歩くことを「普通のこと」と思ってしまう。母も注意しない。

 

単に「危険だ」と言うだけでなく、子どもがそれを「普通のこと」と認識してしまう怖さをわかっていない。

 

【交通量の多い道路は危険である】と言う認識も無い。

だからその道路を子ども(小学校低学年)が独り自転車で出かけても、制止もしなければ注意点のレクチャーもない。

 

⇒これも上の例と同じ。子どもが無茶な行動をとるようになる怖さを想像できない。

 

 

*******

自分の欲求を優先する衝動性、想像力のなさが原因だと思っていたが、「時間感覚がない」とは気が付かなかった。

 

なるほど…

 

時間の概念が弱い子どもは”昨日””今日””明日”の3日間くらいの世界で生きています。場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます。

このような子どもは、
今我慢したらいつかいいことがある
1ケ月後の部活の試合や定期試験に向けて頑張る
将来、○○になりたいから頑張ろう!
といった具体的な目標を立てるのが難しいのです。
目標が立てられない人は努力しなくなります。努力しないとどうなるのでしょうか。二つ困ったことが生じます。
一つは、努力しないと成功体験や達成感が得られないため、いつまでも自信がもてず、自己評価が低い状態から抜け出せないことです。
もう一つは、努力しないと他人の努力が理解できないことです。」

 

『ケーキの切れない非行少年たち(谷口幸治・著)』より

*esnusnさんが引用

 

そうだよね…

母も全てが行き当たりばったりで、「人の努力」も理解できない人だった。努力する人が大っ嫌いだったなぁ。

 

う~む、境界知能かぁ…

発達障害を疑って診断に行ったら、実は境界知能が主因だったという例もあるらしい。

 

母は一体何がどうだったのか?

謎である…