メンクリの先生に母の話をしていた時、
「本人が困ってないと受診は難しいですね」とおっしゃった。
障害の認定でも「本人が困っている」かどうかが重要ならしいが、では本人が困っていなくて周りが著しく困っている場合はどうなるんだろうか?
同じ障害をもっている人でも、自分を客観視できる人もいればできない人もいる。できる人は自ら医療に繋がっていくが、そうでない人にはそんな機会は永遠に訪れない。
診断が下ったからと言って、すぐさま好転!とはいかないかもしれないが、少なくとも「本人の自覚」が促せる(かもしれない)。
事態の改善に向かう第一歩は、当事者に自覚を持ってもらうことだろう。
自覚がないと「他責」が止まらなくなる。
なんでも「他人が悪い」と思ってしまい、話が進まなくなる。
うちの毒母をはじめ「困った人」と言うのは大抵「他責」で、「誰が悪いのか」を決めたがる。良くしていこうという意識が低く、悪者を確定しておしまい、となる場合が多いように思う。
当事者に自覚を促す目的は「あなたが原因なんですよ」と責めることではなく、「環境改善のために協力しなくてはならない」と、当事者に要請することにあると思う。
犯人探しをしない、
他責を止める、
できること・できないことをはっきりさせる
改善策を考える。
これだけでも、当事者とその周りの人の「困りごと」は幾分減るのではないだろうか。
家庭の場合はこんなに単純にはいかないが、当事者の意識が変わり、ひょっとしたら「謝罪の言葉」が聞ける”かも”しれない。
謝罪されたからと言ってすべて水に流せるわけではないが、ひょっとしたら、こちらの気持ちも何か変わる”かも”しない。
期待値は低いけれど…
いずれにしても、事態を動かすためには当事者の自覚は必須だ。
しかし何度も言うように、これを大人になってから促すのは大変な労力がいる。
だからやはり、「就学前診断」に発達障害・境界知能の項目を加えることが大事だと思うのである。
診察に繋げるための簡易的なものでいいと思う。医療に繋げるきっかけを作り、早い段階で療育に繋げる。
誰にも気付かれず放置され、大人になってから本人も周りも困り果てるという状況は、もうそろそろやめにした方が良いと思う。