母は人の不幸話が大好きだ。
「人の不幸は蜜の味」と言うから、誰だってその傾向はあると思う。
しかし母のそれはちょっと違う。
自分が安心したいのもあるだろうけど、
相手の気持ちに思いが至らなくて、そうなっているような気もする。
しかも性格が悪いので、余計に拍車がかかるんだ。
前にも書いた「コロナに罹った孫がおじいちゃんにうつしてしまって、おじいちゃんが亡くなる」と言う話。
孫の気持ちを考えると居たたまれなくなる。
ところがうちの毒母はそれをさも楽し気に、「面白いネタを見つけた!」みたいに話すんだ。
この話だけではなく、人の病気、離婚、事業の失敗などなど、人の不幸は片っ端から「面白いネタ」にしてしまう。
そりゃあ誰でも人の失敗話はするし、「大変だろうねぇ」と言いつつも「自分じゃなくてよかった」って思うこともあるよ。
でもねぇ、楽しそうには話さないよね。
そこには一応罪悪感があったり、その人の後先のことを考えると「気の毒だなぁ」と思う気持ちがあるからだよ。
でも母にとって人の不幸は、100%「面白いネタ」でしかない。
罪悪感なんて、たぶんない。
人の気持ちがわからないって、どんな障害や理由があろうとも、やっぱり人として壊れているとしか思えない。
申し訳ないけど、そうとしか思えないんだ。
だって人って、互いに気持ちを共有したり、共感したりして生きているんじゃないの?
100%分かり合えることは決してない。
でも何を悲しいと思うか、何をうれしいと思うか、そういう共通の感情がないと社会は成り立たないと思うんだよ。
「人の気持ちを想像してみる」
それって人が持つ「社会性」の、最も大切な機能だと思うんだ。
他の何ができなくても、この機能だけは欠落しちゃだめだ。
人の不幸を笑いながら楽しそうに話す。
異常と言うか…それはもはや狂気だよ。
母を見ていると、
「この人は必要となれば、平気で人を○○すんじゃないか?」と思えてくる。
〇〇すまでいかなくても、人を虐めたり陥れたり、罪悪感なくするんじゃないか?
実際、厭なことをされたと感じた時の報復はすさまじい。
普通の主婦が発すると思えないような言葉(まるでヤ〇ザ)で威嚇をするし、腹いせ行動もすごい。しかもそれを嬉々としてやる。
唯一の救いは、頭が良くないことだ。
母は頭が良くないので、やることが幼稚でわかりやすい。
これで頭が良かったら、本物の悪魔だよ。