病気としての過緊張とは少し違うのかもしれないが、母が生きていた頃はいつも何かしら緊張して暮らしていた。
母と距離を取ってからも、ラインや電話に”何となく”ビクビクしていた。しょっちゅう連絡してくるわけではなかったが、連絡してくるかもしれないと思うと、”何となく”緊張してしまうのだ。
親戚や兄弟と会う時も、”何となく”緊張していた。身内だけではなく他人の場合も同じで、単に出かけるだけでもそうだった。
この”何となく”は意外に厄介だった。
他人に「こんなに酷いんだ」と緊急事態を訴えるほどではないのだが、私の中では常に小さな警報が鳴り続けている状態だったのだ。
警報の原因は、母の文句だった。
そんな言い方をするな
なんでそんなこと言ったんだ
その服装は変だ
髪型が似合ってない
歩き方がみっともない
母は私が幼いころからずっと、家族や他人の「見た目」や「言動」「態度」に文句ばかり言っていた。
自分はまったくできていないのに、よくあれだけ人に文句を言えたもんだと感心するのだが、母はそういう人だった。
その母の文句がどこからともなく聞こえてくるのである。人に会う時、出かける時、「自分は変じゃないか?」と気になってしまうのだ。そして”何となく”緊張してしまうのだった。
特に母が同席している場合は酷かった。緊張感から妙におしゃべりになってしまったり、周りに気を遣いすぎて疲れたり。
私はずっと、自分が人に気を遣いすぎて緊張する性分なんだと思っていた。
しかし母が亡くなった後、親戚や兄弟に会う機会があったのだが、不思議なほどに緊張しなかった。自分のペースで話が出来たことが不思議なほどだった。
あぁそうか、母の文句が聞こえなくなったからなんだ、と思った。私の行動や言動が、母の耳に入ることはもうないんだ、と思った。
そう思うと、心底安心できた。もう誰からも文句を言われることはないんだ、ビクビクする必要はないんだ。
自分が自分でいられる。こんな幸せなことはない。
随分と時間を無駄にしてしまったが、これからは自分を大切に、自分のペースで生きていこうと思っている。
これが2025年の抱負かな。