毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

只今メンタルが撃沈しているので、「学校が嫌いだった」の話をしようと思う【その③ スクールカーストの巻】

前回の続き…

 

そんなわけで、義務教育期間の学校と「女子ワールド」に全く馴染めなかった私であるが、その理由を考えてみると、もちろん私の生まれつきの特性の影響も大きいが、それ以上に、一緒にいた女子仲間が合わなさ過ぎたのである。

 

私が中学生というのだから、今から40年以上前の話になるが、その頃の学校にもスクールカーストは存在していた。

 

カースト」なんていう立派な名称はなかったが、明らかにそれは存在していたのである。

 

たまにTVのコメンテーターなんぞが「今の子はたいへんですねぇ~、昔はそんなものはなかったんですけどねぇ~」なんぞと言っているのを聞くと「ホンマでっか?」と問いたくなる。

「あんた、どんな天国中学に通っとったんですか?」と言いたくなるのである。

 

そのおじさんなりおばさんは周りの状況に恐ろしく鈍感だったか、それとも「スクールカースト」なんぞは霞んでしまうほどの「封建制度バリバリの村社会」の中学に通っていたかのどちらかではなかろうか?

 

まぁいずれにしても、私の通った小中学校にはスクールカーストが存在していて、私の友達はどの子もカースト上位」に属していたのである。しかも小学校以来の一番仲の良かった子は、あろうことか「最上位」の女子だった。

 

当時の中学には「ヤンキー」なるものが生息していて、彼女はそのヤンキー君&姐さん達も一目置く「美人」だったのだ。

 

年代を感じさせる例えではあるが、大原麗子似」と言えば何となく雰囲気をわかってもらえるだろうか。

 

その大原麗子似の友達は、超美人なのにひょうきん(古語)で、それでいてちょっと悪いところもあって、実に魅力的な少女だったのである。

 

私が属していたグループの女子は、その”大原麗子”が中学で獲得した友達集団だった。したがって(かどうか知らんが)、グループのほかの女子もみな美人ばかりだった。

 

それで私はどうかと言うと、容姿は10人並みの平凡な見た目と、それ以上に問題だったのは陰キャさん」だったことだ。

 

当時は酷い人見知りで(今は何故か真逆になったが)、漫画やアニメが好きなオタク気質で、大勢でワイワイするのが大の苦手な大人しい女子だった。カーストで言えば」「下層」に属するものと思われる。

 

陰キャカースト下位の女子(私)と、最上位+上位の女子集団では合うわけがないのである。

 

小学校以来の繋がりだったのでそのままお付き合いとなっていたが、この関係性はかなりキツかった。

(仲間はずれにはされなかったが、彼らは私のことをどう思っていたんだろうか?)

 

早く自分に合ったグループに鞍替えすればよかったのだが、中学女子が途中で所属グループを替えることは非常に難しいのである。

 

下手をすると元のグループから総スカン、その上、新しく入るグループには拒否される可能性だってあるのだ。

 

こうなったら最悪である。

 

それ以降の学校生活を「ぼっち」で過ごすことになるのであるから、これはキツイなんてもんではない。

 

こんな具合に、中学の3年間をなんとかやり過ごし無事卒業することになるのだが、高校になってから、私のスクールライフは少しずつ状況が好転していくのである。

 

まだまだ続く…