毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

『子供なんて何も思ってない、何も考えてない』が、母の”子ども観”のすべてだった

『子供なんて何も思ってない、何も考えてない』

 

これが、母が子ども(我が子だけではなく)に対して持っていた感覚だった。

 

じゃあ、母自身はどうだったのだろう?

母が子供の頃、何も思わず、何も考えてなかったんだろうか?

 

私の憶測だが、

「そうだったのだろう」と思う。

 

子どもと言えど人間なので、

何も思わず、何も考えないなずがない。

むしろ大人以上に、感じたり考えたりしていることもある。

 

しかし母は「それ以上考えられない人」だった。

「何か嫌だ」から先に思考が進んでいかない人だった。

いつも、「何かしらんけど」「何か分からんけど」だった。

 

『子供なんて何も思ってない、何も考えてない』

そう思っていたからだろうか、母の子どもの扱いは実に雑だった。

 

私は、小学校3年生の2学期の途中に転校した。

 

友達関係もあるから、小学校を卒業するまで待つ家庭も多いと思う。

せめて新学年になるまで待つとか。

 

親の転勤や家庭の事情なら仕方がないが、

うちの場合はそういうのではない。

単に母が家を買ったからだ。

 

なんでそんな中途半端な時期に…と思うが、

母は一旦「こうしたい!」と思うと止まらない人だった。

 

母が引っ越し先として考慮したことは、

「自分の実家に電車で行けるか」だけだったそうだ。

あとは、家に対する自分の好みだけ。

 

夫(私の父)の通勤とか、

子どもの環境とか、

そんなことは頭にない。

 

運の悪い事に、

引っ越し先の自治体は教育環境が最悪で、

小学校や地元中学は、いじめや校内暴力が横行していて酷い環境だった。

 

同じように教育環境の良くない地域に引っ越してしまった人が、

「環境が悪いから中学からは私立を考えている」という話を聞いて、

「ちゃんとした親で羨ましい」と思ったものだ。

 

母は私から学校の様子を聞いていたはずなのに、何も感じなかったんだろうか?

この環境はまずいぞ、とは思わなかったのだろうか?

 

思わなかったんだろうな…

 

子どもが何を言っても、

「へぇ、そうなんだ」以上に考えが進まない人だったから。

 

アドバイスもなければ、手助けすることもない。

そもそも子どものサポートなんて、

どうしたらいいのかさえ、分からなかったのだろう。

 

と言うか、

”子どもをサポートする”という、

その必要性にさえ頭が及ばなかったのだろうと思う。

 

「なぜ○○してあげないの?」

私が父や兄弟の状況を心配して母にそう言うと、母は必ずこう言った。

 

「自分で良いようにするやろう?」

 

子どもの頃は「なんて薄情な人なんだろう」と思っていたけれど、

今思うのは、「そこまで考えが及ばなかったんだろう」という事である。

 

子どもに指摘されて初めて気が付く。

気が付かなかったことを「アホか?」と思われたくない。

だから「そんなん、自分で勝手にするやろ?」と、

さも「わかってましたよ感」を出してごまかす。

 

母の言動や行動の奇妙さを思い出すと、

「なぜそんなことができない?」が満載している。

 

他人だったら「できない人だったんだろうね…」で済む。

でも母親の「なんにもできない」は、子どもにとってはもの凄くリスキーだ。

迷路の中を地図も持たず、指示も無く、1人で歩いていくようなものだ。

 

『子供なんて何も思ってない、何も考えてない』と言っていたのは、

自分ができないことへの言い訳だったのか、

自分への慰めだったのか分からないが、

そう言われる子供の心情に、もっと目を向けてほしかったと思う。

…無理だろうけど。