毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

母は生きる場所を間違えたのだと思う

 

 

コンプレックスの塊

 

こうして毒親ブログを書いていると、母の問題点が整理されてくる。

 

母の問題行動の原因は、気質の問題や障害があるのかもしれないけれど、基本的には「自信のなさ」が大きいように思う。

 

そしてその「自信のなさ」を増幅させたのが、結婚後の環境ではないかと思うんだ。

 

環境の問題

 

気質に問題のある人なので、幼いころから叱られたり批判されたりが多かっただろうと思う。たぶん学校にも上手く適応できなかったのではないだろうか。

 

「先生のいう事なんて聞かなくてもいい」という言葉から、きっとそうなんだろうなと思うんだ。

 

実家の問題もある。

 

母の実家は親戚から軽んじられていたと、本人から聞いたことがある。

 

母はその理由を「貧乏だったから」と言っていたが、私はそうではないように思う。

 

母方の祖父は工場勤務の職人で、明るく気さくな人柄ではあったけど、キャンブル好きで、子どもの前でも平気でギャンブルの話をするような人だった。

 

その時が楽しかったらいいじゃないかという、どこか刹那的で深みのない人という印象があった。

 

祖母は恐ろしく段取りの悪い人で時間の管理や整理整頓ができず、人の悪口や陰口も多かった。

 

母も兄弟姉妹も軒並み学校の勉強ができず、他にこれと言ってできることもないという、あまり褒めるところがない人達だ。

 

そうした家の雰囲気が「軽んじられる」という事に繋がっていたのではないかと思うんだ。

 

親戚からも軽くあしらわれ、学校でも褒められることはない。

 

…自信を持つわけがないよね。

 

それでも家族の中にいる間は、まだましだったんじゃないかな。

 

住んでいた地域も昔ながらの下町で、似たような人同士、気楽に暮していたんじゃないかと思うんだ。

 

結婚後の環境の変化

 

ホワイトカラーと郊外の住宅地

 

ところが結婚した相手がホワイトカラーの会社員だったから、状況が一変した。

 

しかも父の実家は堅実で真面目な家だ。父をはじめ子供たちはみな勉強ができた。中でも父は一番の秀才だった。

 

互いの実家の価値観が異なり、生活環境も変わった。

 

それでも町中に住んでいればいろんな人がいるからまだしも、家を求めて郊外の住宅地に住んでしまったもんだから大変だ。

 

周りはほとんどが、ホワイトカラーの会社員家庭だったからだ。

 

「ここに引っ越してからは言葉に気を付けるようにした」と言っていた。

 

元の環境では「ちょっとやんちゃな娘」くらいですんでいたものが、住宅地では「下品な人」になってしまうんだ。

 

母のご近所友達は、みな同じように、どこか馴染めてない人ばかりだ。

 

だから毒友達は、寄り集まっては人の悪口を言うことで、自分たちの「馴染めなさ」をごまかし正当化していたんではないかと思うんだ。

 

子どもの学歴

 

更に母の劣等感に追い打ちをかけたのが、子供の学歴だろうと思っている。

 

母は想像力が乏しい人なので、子どもの学歴が自分のそれを超えた時に何が起こるのかを、あらかじめ想定しておくことはできない。

 

だからそうなって初めて「こんなはずではなかった…」と動揺するんだ。

 

子どもの学歴や職種が違うという事は、属する社会が親とは違うものになってしまうという事だ。

 

価値観が大きく異なるので、仲良く過ごすことは困難になって行く。

 

話題も違うし、普通に日常の話をするだけでも、誰かが誰かを見下すような雰囲気になりがちになる。

 

そういうつもりが全くなくてもだ。

 

地域の中で起こっている格差が、家庭の中でも起こってしまうってことで、これはストレスだろうなと思う。常に見下されていると感じるんだからね。

 

そう思うと、気の毒な気もするんだ…

 

適した場所

 

母は生きる場所を間違えたんだと思う。

 

自分が生まれ育った環境にずっといたなら、こんなに大きなコンプレックスを持たなくて済んだのではないかと思うんだ。

 

自分と同じ学歴や知能の人と結婚し、自分と同じような「やんちゃ者」の子どもに囲まれ、いがみ合いながらも楽しくおかしく一生を過ごせたのではないかと思うんだ。

 

人には「適した場所」があると思う。それを外すと、一生苦労するこになる。

 

女性は適応力があると言われるけれど、楽々と適応することなんてありえない。気苦労をすることには変わりはないんだ。

 

結婚相手は似た者同士がいいと思う。育った環境もそろえた方が良い。

 

育ちの違いは不仲の原因になる。

 

それは本当だと思う。夫婦でも親子でも。