常々思うのは表題のこと。
親を「知能が低い」という理由だけで嫌うのは間違っているんだろうか?
母の嫌な行動や言動の根底には、発達障害の傾向と「知能が低いこと」が原因になっていたような気がする(どちらも未診断なので私の憶測にすぎないが)。
同じ「知能が低い人」でも性格の良い人と悪い人がいると思うが、母は完璧な後者だった。そして母の性格の悪さは、倫理観の低さが基になっていたような気がする。
母はこずるい人を「賢い」と言い、他人を虐めても平気な人だった。
高校生の頃だったか、母がパート先の同僚にいじめのような言動をしていることを自慢げに話していたので訊いたことがある。
「そんなにその人にイライラするなら、関わらなければいいじゃない? なぜわざわざ「いじめ」という形で関わるの?」
すると母は、
「私をイライラさせることをするのが悪い、ほかの人もみんな同じことを思っている(はずだ)、だから言ってやるんだ(虐めるんだ)」というようなことを言った。自分はそういうやり方をする、それの何が悪いんだ?という感じだった。
単に自分のイライラを自分で処理できずに、相手にぶつけて発散させていただけだと思うのだが、それの何が悪いのかわからないという母に、呆れ果てたことを覚えている。
知能が低いというのは、「それ以上深く考えられない」とイコールだと思う。思考がピタっと止まってしまって、それ以上先に進まない感じ。
イライラする⇒相手に感情をぶつける⇒スカッとする
ここで思考が止まる。
(思考が止まるというか、最初から感情任せで何も考えてないんだが)
「周りの人はどう思うかな?」とか、「相手は悲しい気持ちになるよね」とか、「ほかに解決方法はないかな?」など、「その先」に思考が進んでいかない。だから結果的に「倫理観が低い」となってしまうのかもしれない。
こずるい人を「賢い」と思っていたのも同じだ。
料金を上手くごまかしたり、上手くさぼったりする人を「賢い」と言い、要するに「ばれないように悪い事をして得している人」を「賢い」と感じていたようだ。
「上手い事やってるな」とは思っても、それを「賢い」とは思わないが、母は本気で「賢い」と思っていた。
逆に「利発な人」「聡明な人」を「賢い」とは感じないようで、そもそも「利発さ」「聡明さ」を理解したり感じ取ったりすることができないのではないかと思った。
倫理観の高い行動を「立派だ」と感じないから、いつまでたっても「立派」に近づけないし、利発・聡明な人を「賢い」と感じ取れないから、いつまでたっても倫理観が低いまま。母はそんな感じだった。
知能が低いのは本人の責任ではない。だから配慮が必要で、差別したり嫌ったりしてはいけない。そう言われる。
それはその通りだと思う。そこに異論はない。
でも、毎日一緒に生活するのは大変だったりする。
倫理観の低さや短絡的な考えにうんざりするのを、我慢しなくてはならないからだ。
これは母の性格の悪さが原因なのか?と思っていたが、以前にも書いた『私の母は知的障害者・エストラーダ恵美著』を読んだ時、穏やかでやさしい母親でも、子どもの成長と共に大変になってくるという事を知って、性格の良し悪しは関係ないのだなと思った。
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こういう問題を考えていると、頭の中がグチャグチャしてくる。
グチャグチャになる原因は、尊敬したい親を尊敬できないどころか、軽蔑してしまう苦しみにある。そして「弱者(と言っていいのか分からないが)を差別してはならない」という倫理感との闘いでもある。
「母の責任ではなかったんだろう」と思う半面、母を悪く思わないとやりきれない気持ち。
そんな解決しない問題を考えるのは、虚しいだけなのでやめたほうが良いのだと思う。でもやめられない。
困ったものだ。