いつも毒母のディスリばかり書いているが、実は私も少し変わっている(らしい)。
(この話、すでにしたしたかもなんだけど…まぁ、良いか)
自分ではよくわからないのだが、少し親しくなると「変ってるね」とよく言われるので、変わっているんだろうと思う。
「どんなとこが変わってるって思うの?」と聞くことにしているが、どうやら人を不快にするタイプの”変わってる”ではなさそうなので、ちょっとホッとしている。
(本当は気を遣ってくれているのかもなんだけど…怖いなぁ)
私は元々、感情の起伏が薄いってとこがある。
その上、感情を表現することも苦手だ。
10代の終わりになって、それは人に対して失礼になる事もあると分かって以来、かなりかなり大げさに、喜んだり悲しんだり驚いたりするようにしている。
思い返してみれば、子どもの頃から感情の起伏は薄かったなぁと思い出す。
例えば、
小さい頃よく迷子になったのだが、迷子になっても「泣く」ってことは一度もなかった。必死で親や同行の大人を探すってこともなかった。
焦ることは焦るんだけど、「まぁ、焦っても仕方がないか」と言う感じになるんだな。
5、6歳の頃、母の癇癪で(叱られて)よく夜に外に放り出されたことがあったが、その時も特に騒がなかった。
ぼんやり夜空を眺めていた記憶があるが、泣くこともなかったし、泣きたい気持ちになることもなかったように思う。
大人からしたら、そこが腹が立つんだろうな。
振り上げたこぶしの、下し所が無い状態なんだろうと思う。
子どもが泣いて「お母さん、ごめんなさい!」とか言えば、何だかんだで事態を収められるんだろうけど、子どもが平気そうにぼぉ~と夜空を眺めてたらねぇ…。
そもそも子どもって「夜」が怖いと聞くが、私にはそういった記憶もない。
夜の田舎道を独り歩いて、徒歩15分くらいの祖母宅に行ってたし、子どもと添い寝をするような母ではなかったので、夜は子供部屋で独りで寝ていたが、特に怖かった記憶はないなぁ…
私の記憶にあるのは、感情の起伏が薄い事に加えて「仕方ない」という気持ちがあったように思う。
「訴えても仕方ないよね、だって相手はそう思ってしまっているんだから…」
そんな諦め感というか、無駄感というか、相手の心に一度起こってしまった気持ちや認識は覆せないっていう感情が勝ってたように思う。
それは私の生来のものなのか、夫婦喧嘩が絶えない環境や、毒母との生活でそうなったのかは分からないが、とにかくしら~とした(そう見える)子どもだったことは確かである。
そんな感じを人から見たら、堂々としているように見えるらしい。
子どもの頃からどこに行っても何をしても「慣れてるね」と言われた。内心では緊張してたりもするんだけど。
まぁそんな感じの子供だったので、大人から基本「ほっとかれる」んだな。
騒がないし、訴えないし、文句も言わないので、居るのかいないのか分からない子どもだったんだろうと思うよ。存在感が無いんだろうね。
毒母にも良くそう言われたよ、居るのかいないのか分からんって。
同じような性格の友達は親御さんから「あんたは手のかからん良い子やった」と重宝がられたと言ってたので、この辺りは親子の相性ってことなんだろうな。
うちの毒母のようにエキセントリックな人間にしてみれば、私のような静かな子どもは「面白くない子」だったんだろうと思う。事実、そう言われたこともある。
私たち親子は、相性が恐ろしく悪いのだ。
今の小学校の通信簿は良いことしか書かないようだが、私が子供の頃は「できないこと」を中心に書いてたように思う。
協調性が無い(幼稚園の頃は”一人で遊んでいる”が定番)
引っ込み思案で積極性がない
忘れ物が多い
いつも書かれていた項目。
「良いとこはないのか?」と思うくらい、できない事しか書かない学校だったなぁ…(本当になかったのかも…)
そんなこんなで、
わが実家は、親も変っているし子どもも変わっている、変な集団だったんだろうと思う。
くわばらくわばら。