毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

死ぬかもしれないと思った時、最初に頭に浮かんだのは「母との絶縁」だった

10年近く前、大病をした。

死ぬかもしれないと思った。

 

そんな時、最初に頭に浮かんだのは

「毒母と縁を切ろう」

だった。

 

あんな人に調子を合わせている場合じゃない。

人のことを考えている場合じゃないんだ、と。

 

そう心の底から思った。

 

そんな時、グッドタイミングでその機会が巡ってきた。

毒母が、絶縁状態の自分の兄弟のことで電話をしてきたのだ。

 

自分のいう事に「そうだね、その通りだね」と言ってくれない娘が気に入らず、電話越しにわめき始めた。

 

しばらく黙って聞いていたが、あまりに理不尽なことを言うので、ついに言ってやった。

 

「そもそもその問題は私とは関係ないよね。

それでもあなたの相談には真面目に答えたつもりだよ。

なんで私が『こうしなさい』って指示を出さないといけないの? 

相手とトラブルになった時に『○○(私)もそう言ってた』って言いたいの?

そもそも、なんで私がそこまでわめかれないといけないの?

もうあなたのような人とは普通に付き合えないから、これで縁を切ることにしました。

もう電話はかけてこないで。」

 

そう言って、一方的に電話を切った。

 

何故だか手がブルブルと震えた。

でも言ったことに後悔はなかった。

 

しかしここで一つだけ問題があった。

我が子の事である。

 

毒母とはいえ、我が子にとっては小さい頃から親しんできたおばあちゃんである。

私は付き合いたくないが、子どもの事は別問題だ。

私が嫌だからあなたも付き合わないでほしい、とは絶対に言いたくなかった。

 

だから、盆と正月は子供だけが祖母宅(毒母)に行くことにした。そして文化祭などの学校行事には、毒母も来てもらうことにした。

 

中途半端な絶縁ではあるが、仕方がない。

私がいないところで子供に何を言うか心配だったが、これも仕方がない。

 

以前のように、実家に泊まったり、一緒に旅行や買い物に行ったりしないだけでも、随分と負担は減ったように思う。

 

絶縁宣言をするきっかけとなった病気のことだが、結局、最後まで毒母には言わないままで終わった。

 

言わなかったのは毒母を気遣ったからではない。

私が傷つかないように、である。

 

自分のストレスを周りの誰かにぶつけることでしか解消できない母。

娘の病気を知ったストレスは、きっと私に向かってくるに違いないのだ。

 

気が弱っている時に、そんな地獄を味わいたくない。

 

私が病気のことを話さなかったように、ややこしい事になるから、毒母には大変なことは言わないようにする。

 

ああいう類の人は、結果的には周りの人に守られ、面倒なことからは遠ざけてもらえるんだな、と虚しくなる。

 

遠ざけてもらっていることに気付かずに、

「私は良くやっている、偉いんだ」と豪語するのを聞くのは、滑稽でもあり、やはりどこか虚しさを感じていた。

 

「あ~ぁ」としか思えない人とは物理的に離れていた方が、精神衛生上よいのであろうと思う。