「老人ホームは嫌」と言う毒親
近頃の毒母の話題は、近所の高齢者が施設に入ったことについてが主になっている。
年に2,3回しか会わないが、会うとそんな話をしている。他の兄弟にも同じような話をするようだ。
以前「一人で寂しいから老人ホームもいいなと思う」と言っていたことはすっかり忘れて、「○○さんはホームに捨てられた」に変わっている。
入りたくない気持ちが大きくなってきたのであろう。わかりやすいというか、単純と言うか…
はっきり「面倒を見てほしい」と言うと拒否されるのがわかっているから、遠まわし(遠まわしでもないけれど)に言っているのであろう。
そんなことは先からお見通しであるが、気付かないふりをしている。
今時、ホームに入ることを「捨てられた」なんて言う人も少ないし、そもそも家族だけで高齢者の面倒を見るのは無理がある。
子どもであれ老人であれ、誰かの面倒を引き受けるのは大変なことで、人の手を借りて負担を分担しなくてはやっていけない。
以前うちの毒母は、「年寄りが家にいるだけなんだから大変なものか!」と言ったことがあったが、とんでもないことだ。
そこまで言うのなら、自分がやってみてはどうなのか?
親の面倒を見た人には暴言
当然のことながら、うちの毒母は親の面倒が見れられる人ではない。
それなのに、20年近くも母親の面倒を見た弟夫婦を、今でも口汚く罵っている。弟が病気になったときも、親を粗末に扱った罰だと暴言を吐いた人間だ。
叔父夫婦は祖母に対して普通に接していたように思うが、母方の祖母もちょっと変わった人なので、上げ膳据え膳の好待遇を期待していたようなのだ。
「そんなこと、できるわけなかろう?」と普通は思うんだけど、うちの毒母はなんでも聞いた通りを信じてしまうので、祖母と一緒になって、弟夫婦に恨みを持ってしまったようだ。
そんなに気に入らないのなら、自分が変わればいいじゃないか?と思うが、そういうと必ず言うセリフがある。
「お父さん(毒母の夫)がいるし、私は嫁に出た身だから無理!」
相手と自分の違いを見つけて、「だから私はしなくてもいいが、お前はしろ!」となるんだ。
問題を混ぜるだけ混ぜて何の解決策も考えない、こういう人間が一族にいると、まとまる話もまとまらないから大変なんだ。
自分には甘い毒母
うちの毒母は、自分はできないが人にはしてもらいたいという、どこまでも身勝手な考えを持っているようである。
いや、ひょっとしたら「自分にはできない」と気が付いてないかもしれない。
「気が付かないって…!?」と思うかもしれないが、母の場合はあり得るんだ。
「自分だったらどうだろうか?」と考える事ができないからそうなる。当然、弟夫婦が投げ出したらどうなるのかと、先のことを心配することもない。
そもそも、自分ができないことは人もできないだろう、などという愁傷な考えを持つような人間ではないのだ。
自分のことも他人のことも何にも気が付かないから、平気で身勝手なことを考えることができるんだ。
さすがは毒親というモンスター、謎の思考回路の持ち主だ。
逃げ切らなくては
私は当然のごとく、母親の面倒をつきっきりで見るなんて気はさらさらない。
身内にしかできないこと、例えば申請関係とか、医者の話を聞くとか、そういう事しかするつもりはない。
いろいろと訴えるようなことを言うが、毒母の発言に深い意味も考えもないのだから、何事も無視するに限る。
いやいや、それを「訴えている」と捉えるのも私の考え過ぎかもしれない。思い付きをただ話しているだけかもしれない。
若い頃は、母の言うことをいちいち真剣に捉えて、さんざん苦い思いをしてきた。
もうその手には乗るまい。
早速アルバイトを始めて「仕事があるから」と、できないことを示すことにした。
働いている者には何も言わない人なので、仕事をするのが一番手っ取り早い逃げ道なんだ。
この先は、老人施設に入ってくれればそれでよし。駄目なら民間の業者を頼ろう。
介護保険が取れればそれで、取れない間は民間の家事代行を頼む。買い物は生協の宅配とネットスーパーを。病気になったら即入院してもらう。退院を迫られたら訪問診療と介護ヘルパーで乗り切ろう。
母の貯金がゼロになるまで他人にお願いする。ゼロになったら年金の範囲内。多少の不自由は我慢してもらう。
毒親の末路は、こういう恰好が多いのではなかろうか。
いままでさんざん迷惑をかけ、嫌な思いをさせてきたのだから仕方あるまい。
毒親にその自覚があったのかなかったのかは、もう関係ない。自分の健康な生活を守らないといけない。
毒母よ、これがあなたの顛末なんだよ。諦めて従ってください。