中高生の頃、よく「宿命」について考えた。
宿命とは、
『自分の意思に関係なくやってくる、避けて通れない、生まれる前から決まっていること』
だそうだ。
母と親子であること、そしてあの両親がいつもいがみ合っているのは、私の「宿命」なんだろうと思っていた。
そしてあの母がああだったのも、一種の「宿命」だったんだろうなと思う。
その人がそういう性格や特質を持っているのは、その人の責任ではない。
持って生まれたものであって、「そうなってしまっている」と言うのが正しいのだろう。
そうすると、母の暴言も嫌味も、母の責任ではないのだろう。
そういう人間として生まれてしまった、そういうことなんだろう。
そういう「脳」を持って生まれてしまった、そういうことなんだろう。
全てが「脳」の仕業だとするなら「人間に自由意志などない」となる。
自分の行動に「己の采配」など及ばないのだ。
そんな風に全てが「脳」の仕業だとするなら、一体人間とは何なのか?
どんな脳を持って生まれるか、
どんな環境に育つか、
そしてどんな社会で生きるのか。
その全ては「ガチャ」だ。
自分で選び決めることはできない、完全なガチャ。
人間とは、ガチャの結果で与えられた「脳」の、単なる入れ物に過ぎないのだろう。
だから、解決方法は「諦める」ってことなんだろうと思う。
自分がそうであることを、
相手がそうであることを仕方がないと諦めて受け入れる。
それしかないのだろうと思う。
考えないこと。
なぜそうなんだろうかと考えないこと。
それがすべてを受け入れるためには必要なんだろうけど、
同時にそれが一番難しいのだ。