『ネグレクト』と聞くと、親が子供の衣食住を確保しないことだけを言うのかと思っていたが、「衣食住の確保”しか”しない」のもネグレクトに当たるらしい。
そう聞いて思い出した。私の母は、家事と事務処理しかしない人だったなって。
それでいいじゃないかと思うかもしれないが、でもそれって「お手伝いさん」と同じなんだよ。「母親」ではないんだ。ただ家の中の用事を片付けるだけの、住み込みのお手伝いさんと同じ。
なぜそうなるかと言うと「何も気が付かない」から。
子供の異変にも、危険性にも、子どもが困っていても悩んでいても、それを母親の前で語っていても、それを「親が対処しないといけないこと」だと気が付かない。
気が付かなないから、結果的に「ネグレクト」みたいになっていた。それは子供が病気のときに顕著だった。
私は虫歯だらけの子どもだったが、母は私を歯医者には連れて行かず、いつも市販薬でやり過ごしていた。歯茎に血豆ができても歯痛で大変でも「今治水(痛み止め)」を塗って終わりだった。子供を歯医者に連れて行かないと、後々大変なことになると気が付かなかったらしい。
小学生の頃ひどい頭痛に悩まされていたが、この時も母は一度も病院には連れて行かなかった。洗面所でそれこそ七転八倒していた時もあったが、母はそのことに気が付いていたのかどうかもあやしい。
小学校低学年の時、1か月ほど咳が止まらなくなったことがあった。寝られないほどの咳で辛かったが、この時も母は病院には連れて行かなかった。大人になってから「肺に病気の跡がある」と言われたので、多分あれだろうなと思っている。なぜ放置したのかは不明だ。
母は晩年、「うちの子ども達は病気をしない子どもだった」と自慢げに言っていたが、いやいや、病気になっていたよ、ただ単にあなたが気付かなかっただけだよと心底呆れた。
これは病気だけではなくて、子どもが危険なことをしようとしている時も同じだった。やっぱり何も気が付かず、子どもが大変なことになって初めて慌てる。慌てるというか、誰かの責任にして喚く。
それは「察する」なんていう難しいことではなく、母の目の前でやっていても、それが危険なことだって気が付かないんだ。「それをするとああなるよ、危険だよ」ってことに、本当に本当に頭が働かないんだよ。予見できないにもほどがある。
母は情緒的な関わりもできない人だったので、私はずっと「我が家に『母親』はいない」と思って暮らしてきた。
「母親がいない」ということは、子どものケアをしてくれる人がいないのと同じなのだ。子供は野放しの放任となり、すべての困りごとを自分で何とかするしかなくなる。その結果、子どもはどこか大人のような「変な子供」になってしまうのである。