もう何度も書いてるが、
母は「関連付ける」と言うことが極端にできない人だった。
「関連付ける」について単純な例を示すと、
①石って固くて重いよね
⇒だから石臼とか漬物石に使われるだね
⇒だから加工が大変なんだね
と連想することができるが、母はこういった連想が苦手だった。
「石は固くて重い」と聞くと、「石は固くて重いんだな」としか認識しない。
「一を聞いて十を知る」の真逆だな。
さすがに「石の例」くらいはできただろうが、もう少し複雑な事になるとお手上げだった。
関連付けができないと、知識や経験が積み重なっていかない。
言葉カードをただ並べているだけで、整理するとか紐づけるとか何もしていないので、新しい知識や経験が加わったとしても、やっぱり同じようにそこに置くだけで広がっていかないのだ。
そんな母はよく「初めて聞いたわ!」という顔をしていた。
こちらとしては「ん? この間その話したよね」とすれ違う。
だから母と話をすると時は「全部」話さないとダメなんだ。
契約書の約款みたいな感じに。
「分かってくれるだろう」は通じないので、齟齬がおきないように全部話して聞かせたほうが安全だ。
手続き上の重要な話になると、それこそ小学生に話すみたいになる。
こうする理由は○○だからだよ、と一つ一つ丁寧に。
後期高齢者になると、世間一般がそういう話し方をしてくれる。
だから年老いてからは、随分と分かりやすくなったのではないだろうか。
若い頃は「そこまで言わないでもわかるだろう」と、はしょった物言いになるので、母としては上手く理解できない時もあったのではないかと思う。
だからかどうだか分からないが、母は親戚や友達に「そんなことまで聞く?」と思うような立ち入った失礼な質問をしていたことが度々あった。
いちいち聞かなくても前後の話で想像がつくだろう?と思うが、母にはチンプンカンプンだったのかもしれない。
関連付けができないのは、察しの悪さにもつながるのだ。
という事で、
母の暴言や失礼な発言の数々は、感情をコントロールできず突発的に発言してしまうと言う悪癖と、「分からないから訊いただけ」という言い訳のような言い分から起こっていたのだろうと思う。
母は良く「なんでかな?と思ったから訊いただけや!」と言っていた。
ものの言い方が無茶苦茶だったので、何を言っても「怒っている」ようにしか聞こえないことも、暴言に拍車をかけていたのだろう。
こうして文章に起こしてみると、母と言う人は、本当に訳の分からん人間だったなぁと改めて思う。
母は自分の母親からも「お前は訳の分からん子や」と言われていたそうだ。
幼い頃からああだとしたら、さぞかし育てにくい子供だっただろうと思う。
分けの分からない子どもは周りの大人から叱られ、否定されて大きくなるのだろう。その結果、あのような性格の悪い大人になってしまうのかもしれない。
性格の良し悪しも生まれつきの部分が大きいそうなので、まぁ、元々なのかもしれないけどね。