説明が理解できない人
母は昔から「専門家」に相談しない人だった。
子どもの進路の事なら、学校か塾の先生に相談するのが一番だ。
でも母は、自分の友達に訊く。
法律や行政手続きの事なら役所に相談するのが早い。
でも母はやっぱり、自分の友達に訊く。
「なんで専門家に訊かないんだろう?」と不思議だったが、訊いても分からなかったのかもしれない、と今では思う。
病院の人とか、役所の人とか、そういう人達の説明を「まくしたてられるから嫌だ」と言っていた。
母は、あなたは一体何を知ってるの?と思うくらい、知識の少ない人だった。
知識や経験をもとにして、考え、気付き、対処する、といった事も苦手だった。
きっと物事を関連図ける力が弱かったのだろう。
知識も少なく応用力も弱いので、人の説明がすっと頭に入ってこないんだろうと思う。
「説明」と「自己決定」が不要だった時代
母が若い頃(1950年代~1970年代)は、そんな風でもよかったのかもしれない。
昔は患者や市民やお客に対して、詳しく説明しないのが普通だった。
特に「女性」に対してその傾向が顕著だったように思う。
(女性には説明しても分からないだろうという、女性蔑視的な考えなんだろうね…)
病院では医師が出した薬を黙って飲み、役所では言われるままに手続きをした。
ところが今はインフォームドコンセントや事前説明が徹底されるようになり、どこに行っても細かく丁寧に説明をするようになった。そして自分で決めてくださいと言われる。
そうなると、できる人とできない人の差が歴然となる。
理解力の乏しい人は相手の言葉をただ聞いているだけで、ほとんど理解できていなかったりする。そして理解しないまま、様々な決定をしなくてはならない。
それは結構な負担だろうし、ストレスフルな世の中になったと言えるかもしれない。
知能が求められる時代
人生に於ける”自己決定”の機会は、現在の方がはるかに多いのではないだろうか。
現代社会で暮らしていくにはIQ100ないと苦しいと言われているが、母が生きた時代と今とでは、必要なIQが10くらい違うんじゃないかと感じる。
なんとなく流されて生きても何とかなった時代。
昭和の頃まではそういう時代だったんじゃないかな。
十分な説明はしてくれないが、誰かが「最適解」を示してくれて「そうしなさい」と言ってくれた時代。
分かろうと分かるまいと説明が付き、決定の自由を与えられる。誰も明確な「最適解」を示してはくれないが、しかし命令もされない現在(同調圧力はあるが)。
どちらが良いのかは、その人の性格と能力によって違うのだろう。
安定剤としてのお友達
母にとって「お友達」は、不安を打ち消してくれる安定剤だったんだろうと思う。
何をどうしていいか分からない、人の解説も説明もいまいちピンとこない。
そんな時、お友達に「どうしたらいい? あなたはどうしたの?」と答えをもらい、その通りにすることで安心感を得ていたのだろう。
だから母は「こうすればこうなる、ああすればああなる、どちらを選ぶかはあなたの自由だよ」という答えを嫌った。
うっかりこんな風に答えてしまうと、喚かれ怒鳴られ、面倒くさいことこの上ない状態になったりする。
「こうしなさい」と言ってほしいんだろうけど、もし上手くいかなければこちらの責任にされるので、それも面倒だ。
だから母の相談には、「私ならこうする」と答えるようにしていた。
これなら強制している訳ではないので、被害が最小限で済むのだ。
誰でも迷うし人に相談もするけれど、最後は自分で決めてくれよ、と思う。自分の不安と責任を子供に被せるのはやめた方がいいよ、と。
まぁもうそんな心配をすることも無くなったので、やれやれなのだが。