以前にも書いたことがあるが、母は会話の仕方がおかしいのだ。
自分と相手の関係性を考えて話す事ができないから、暴言や嫌味が多発することになるんだ。
同じセリフでも、相手によっては嫌味になってしまうことが理解できないし、同じ意味でも、セリフの言い回しによっては嫌な言い方になることも理解できない。
例えば「子どもって親に感謝するのかしら?」と純粋に疑問に思ったとする。
それを他人の子どもに訊く時に、「親に感謝しないのか?」という言い方をすると、非常に嫌な感じに聞こえる。
「親に感謝することってある?」とか「親に感謝することって今までにあった?」などの方が質問としては受け入れやすいのではないだろうか。
もちろんこの時の声の調子は「優しそうに」が望ましい。
母はこういうことが理解できないんだ。
ぶっきらぼうに「親に感謝しないのか?」と訊いてしまう。しかも何故だか嫌な調子で言うんだ。
他人の子どもにそう訊くことは、厭な言い方ではあるが、ぎりぎり「質問」になるかもしれない。尋ねている相手も感謝の矛先も他人だからだ。
しかしその同じセリフを自分の子どもに言えば「嫌味」になりかねない。前後の話によっては「完全な嫌味」になる。
でも母はそうは思わないんだ。「単なる質問だ」と言ってきかない。
一度だけ、なぜそれが嫌味と聞こえるのか、じっくりと説明したことがある。
自分の子どもに「親に感謝しないのか?」と言うのは、文章としては疑問文だけど、ニュアンスとしては「批判」になるんだよ。
何故なら、そのセリフを言っている人が、言われている人の親だからだ。だから言い換えると「あなたは私に感謝の気持ちはないのか?」となるんだよ。
普通、こんなことを言わないだろう? 自分に感謝しないのかなんて、普通は訊かない。
それをわざわざ言うのはどんな時かっていうと、その子に対してものすごく怒っている時だよ。しかもその子が何か悪いことをして親に迷惑をかけた、それで怒っている時のセリフなんだよ。
つまりそのセリフが子どもにはどう聞こえるかというと、「お前は私に感謝の気持ちがない! そのことに関して私はとても怒っているんだ」となるんだよ。
どう? 単なる「質問」じゃないだろう?
…母は全く理解できないようだった。
そんなつもりはない、とか、理屈臭い、とか色々文句を言っていた。
こういう所が、母には何らかの障害があるのかもしれないと疑う理由なんだ。