毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

想像力の欠如・「最低限」以上のことができない  

 

もう何度も書いていますが、母は恐ろしく想像力が欠如している人です。

 

私や周りの人が「あの人はこう思っているかも?」、「これはこういう事なんじゃない?」という種類の話をすると、「すぐに決めつける!」「ごちゃごちゃと理屈臭い!」などと文句を言います。

 

母が文句を言う時は、たいてい、自分にはそれができない時です。

 

想像力が働かないという事は、先が読めず、物事の関係性が読めず、人の気持ちも読めい。つまり、臨機応変な対応ができないという事になります。

 

目の前で起こった事実を、そのままに見ることしかできず、その原因を考えたり、結果どうなるかを想像したり、その時に人はどんな気持ちになるのかを思ったり、そういうことが苦手なんですね。

 

ですから、家事でも仕事でも「もうあと一歩」がないんです。

 

最低限のことはできます。

 

でも、こうした方が相手は気持ちがいいだろうなとか、やりやすいだろうなとか、そういう工夫や配慮がほとんどないのです。

 

身近な例で言えば、他人に何か物を渡すときには、「どうぞ」とか「お願いします」とか、何か言葉を添えて少し微笑んで渡すと気持ちがいいものですが、母はそういう事ができません。

 

「渡しているんだからいいだろう」と言わんばかりの、実に不愛想な渡し方をします。

 

受付に書類を出す時などは特にそうです。

 

無言なのは当たり前。表情も動作も「めんどくさっ!」と言う感じ。カウンターに投げるように置く時もあります。

 

家族ならそれでもいいのですが、他人に対しては見ている方がギョッとします。

 

自分が同じことをされたら嫌な気持になるだろう、なんてことは想像できないのでしょうね。

 

家事でも育児でも、たぶん仕事でもなんでもこんな感じで、「やるべきことはやっている」と自分は完璧のつもりなんだと思います。でもはたから見ていると、「あ~ぁ…」なんです。

 

こういうことって、どこから「障害」と名前が付くのだろう?と思います。

 

発達障害でよく見るのが「生活に著しく支障がないのなら障害ではない」と言う言葉です。

 

ここで言う「著しい支障」とは、どの程度のことなんでしょうか?

 

最低限のことでさえできない、ってことなんでしょうか?

 

本人は「著しい支障」を感じていなくても、周りの者がそれを感じている場合はどうなるのでしょう?

 

母の想像力のなさは異常なんじゃないかと思うのですが、本人は多分「著しい支障」は感じていないと思います。

 

最低限のことはできているので「障害」とまではいかないのかもしれません。ものすごく不快な気分になるだけなので。

 

…「障害」の線引きって、難しいのでしょうね。

 

 

母の「気が付かない」の事例です、ご参考に。

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