年明け早々に暗い話だが、
年の瀬に読んだ文春オンラインの記事。
詳細は違えど、
ここに出てくる母娘のように、
私と母も『共依存』の関係だったのかもしれないなと思った。
暴言や嫌味を言われて嫌なら会わなければいい。
なぜ自分からわざわざ会いに行くのか?
全くその通りなんだ。
おっしゃる通り。
でも私はずっと、自分から会いに行っていた。
来いと言われない時でも、せっせと通っていた。
子供が生まれてからは特にそうだった。
わざわざ母の喜びそうな「他人の悪口」を持って行ったり、
しなくてもいい用事を自分から引き受けたり、
そして様々な母の要求を断れないでいた。
何だったのだろうか、あの気持ちは。
行かなかったら、
断ってしまえば、
何かが終わるような気がしてた。
何かって何?
母にしていた話、
していたことは全部、
「気付いてほしい」と言う私の訴えだった。
あなたが私にしてきたこと、
人格否定や暴言、嫌味、他人の悪口や夫婦喧嘩。
そういう事が私を苦しめているんだと気付いてほしい。
そして今までずっと辛い思いをしてきたことをわかってほしい。
その思いをストレートにではなく、
言葉の端々にちりばめ、行動の一端に乗せて訴え続けていたんだ。
何故もっとストレートに言えなかったのか…
言っても無視されるか、
100倍にして返されるか、
癇癪を起されるか。
それがわかっていたからできなかったのか?
そんな母親でも、関係が完全に切れてしまうのが怖かったのか?
そのあたりの事は、自分でもよく分からない。
*****
子育てってこういう風にするんだよ?
そう伝えたくて子供を連れて日参していたあの頃。
子どもの人格を否定しちゃだめだよ、
何でも最初は一緒にしてあげてね、
ちゃんと教えてあげてね、
一緒に遊んであげてね、
いっぱい話しかけてあげてね、
子どもをいっぱい抱きしめてあげてね、
「愛してる」って気持ちを言葉にして伝えてあげてね、
それからそれから…
実際のところ、私の子育ては立派なものじゃなかった。
失敗もたくさんしたし、後悔だらけだ。
でも自分の子育てを通じて、母に伝えたかった。
私はこうしてほしかったんだ、ってことを伝えたかった。
でもある日、母はこう言った。
「私ら(父&母)がいつも世話してるから、この子(我が子)は言葉をたくさん知ってるし、よく話すんだ、やっぱり年寄りが育てると良いように育つわ」
あぁそうだった。
この人は『良い結果はすべて自分のおかげ』の人だった。
はっきり言わないと分からない人だった。
人の行動を見て学べない人だった、
気付きの無い人だった。
そうだった…そうだったんだよ。
私の訴えは、いつも徒労に終わる。
はっきり言っても暗に伝えても母が変わることは無いし、
母から謝罪の言葉を聞くことも無い。
ただの徒労。
やめればよかった、
私はアホだった。