前回のブログを書いていて思った。
そうか、
母は家族を、
自分は悪くない、自分はよくやっているんだと、
自分を肯定するための道具にしてしまってたんだと思う。
誰だってそういう部分はあるよ。
家族には自分を肯定的に見てほしいと思っている。
認めてほしいよね。
私だってそうだ。
でも母のそれは何か違う。
もっとグロテスクと言うか、
自分を承認させることに必死になっていたように感じる。
私を「偉い」って言って!
私は「なんでもちゃんとできてる」って言って!
「間違ってない、悪くない」って言って!
家族にそう思わせる事に躍起になっていたように感じる。
でもそれって、幼児が母親に向ける欲求だよね。
あぁそうか、
だから母と付き合っていると、
自分がまるで
母の母親になったような気持ちになったのは、そういう事かもしれない。
母の話を聞いていてよく思った。
この人は親や先生や大人から、
良い評価を受けた事がないんだろうな、と。
母がはっきりそう言うわけではないけれど、
母の言動や、
子どもの頃の行動を想像すると、そう思うのだ。
同級生に暴言を吐く
年の離れた弟妹を騙したり邪険にする
怒りのコントロールができず癇癪を起す
注意されても口答えばかりで謝らない
「先生のいう事なんて聞かなくていい」と言ったりする。
たぶん、
母には「そうしてやろう」という悪い気持ちはなかったんだろうと思う。
そうとしかできなかったのではないだろうか。
しかし故意であろうとなかろうと、
大人の目に見えている母は「厄介な子」だ。
母は、なぜ叱られるのか、
人がなぜそんな嫌な顔をするのか、
なぜ親族が離れていくのか、
たぶん一生、理解できなかったのだろうと思う。
可哀そうな人だと思う。
可哀そうな人だと思うけど…
私はそんな母の「人生のもがき」に巻き込まれていたのだろう。
でもそれは、子どもにとっては単なる迷惑でしかなかった。