毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

子どもを自分の友達や話相手だと思っている親は、とんでもない勘違いをしていると思う

私は母の何が嫌だったのだろう?

何に我慢できなかったのだろう?

 

最近そればかり考えている。

 

母は私を、自分に都合が良い「話し相手」としか捉えていなかった。

それはいくら母が否定しようと、事実としてそうだった。

 

自分の感情を掃き出す相手であり、

何の気遣いもせず、言いたいことを言いたいままに言える相手。

 

躾もしない、常識も教えない、

あらゆる「教育」をせずに、ただ毎日、自分の感情を吐き出すだけの人。

 

彼女の会話(?)は、自分は悪くない、自分はよくやっているという事を家族に認めさせるだけの、ただの「独り言」だったように思う。

 

兄弟とよく比較もされた。

母には「比較している」という気はなかったのだろうが、

私を相手に「自分の息子」の自慢話をするのは、

こちらからすれば「悪質な比較」だった。

 

母は子どもを”直接”褒めない人だった。

裏ではコソコソと自慢話をするのだが、本人には絶対に褒め言葉を言わない。

なぜそうだったのかは分からないが、そうだった。

 

だから一度も褒められたことがないのに、

他の兄弟の自慢話をされるのは虚しかった。

 

それはまるで自分が空気か何かのように、

そこに存在しない者のように扱われている気がしたのだ。

 

「娘とは仲良しで、何でも話して、友達親子なんです~」と言う人がいるが、

とんでもない勘違いをしているとしか思えない。

 

子どもを自分の友達のように扱うのは、

「子ども」としての存在を無視しているのと同じだと思っている。

 

親は「親」だし、子は「子」なんだ。

親子の間には「一線」が必要なんだと思っている。

その一線を親の都合でうやむやにしてしまうのは、

子どもにとっては害でしかない。

 

子どもを「友達」にしてしまうのは、自分が楽だからだろう。

 

子どもに受け入れられているという(勝手な)実感を得られ、

子どもに去って行かれる寂しさから逃れられ、

「親」であることの責任からも解放される。

 

いずれにしても、それは全て「親の得」でしかない。

 

親子の間に一線を引き続けるには強い意識が必要で、

それだけしんどいことだと思う。

 

母には到底無理な話だ。

しんどいことをし続けるなんて、できるわけがない。

そもそも、そんな事を考えさえしない。

 

私が母が嫌だったのは、そういう所なんだろう。

 

だらだら、ぐだぐだ、何もかもがいい加減。

感情のままに生きている人。

自分を守る事しか考えてない人。

 

それが虫唾が走るほどイヤだったんだ。