ここ一年ほど、両親が残した古家の整理に通っている。
庭掃除なんぞをしていると、
表を通りがかったご近所さん(母の友達や知人)が声をかけてくれる。
そして必ず「お母さんは良い人だったね」と言う。
ご近所だからそう言ってくれるのかもしれないが、
でも全くの”おべんじゃら”ではなさそうなので、
私は何だか複雑な心境になるのである。
「お母さんは良い人だったね」の後にはいろいろな人物評価が付く。
大人しい人だった、
さっぱりした人だった
人懐っこい人だった、などなど。
どれも本当の母なのだと思う。
「表向きの顔と家族に向けた顔は違って当然」と言ったおじいさんがいたが、この人は「大人しかった」と評した人だ。
「表向きの顔と家族に向けた顔は違って当然」
それはその通りなんだ。
その通りなんだが…あまりにも母を「良い人」と評されると、「私は幻を見ていたのか?」と思ってしまうのである。
母は本当は「良い人」で、それを「毒母」などと呼んでいる私は何か思い違いをしているのではないか? 本当は母は「良い母」だったのではないか? と自分の感覚を疑い始めてしまうのだ。
そして最後には、
「母の暴言にいちいち反応していた私が悪いのではないか? 間違っていたのではないか?という心の迷いに至るのである。
これがなかなかにしんどい。
あの古家に行くと嫌な思いをする。
まっすぐに「母が嫌いだった」と思えなくなる。
頭の中がグルグルしてくる。
全く体に良くないので、あの古家は売ることに決めた。