源氏物語・髭黒の北の方
源氏物語に「髭黒」という人物が出てくる。
髭黒は光源氏の養女・玉鬘と結婚することになる男性だが、この髭黒の北の方は以前から心を病んでいた。
夫婦の仲は良いとは言えなかったが、髭黒は北の方を愛おしく思う時もあり、この先も面倒を見ていこうと決心していた。北の方も正常なときは大人しくしとやかな奥方なのだ。
しかし髭黒が玉鬘の元へ通うようになると北の方の病状は悪化し、悪態をついて髭黒に灰を投げつけるようになる。
髭黒は加持祈祷を行わせ「もののけの仕業だから」とパニックを起こす北の方を労わる。
しかし、妻の不安定な精神状態に疲れ果てた髭黒は彼女を疎ましく思うようになり、結果的に二人は離婚するに至るのだ。
もののけ憑きの母
私と母の状態は、髭黒と北の方の関係に似ている。
毒母は髭黒の北の方とは違って気がきつく、言葉使いや態度も不愛想で頭も良くない。おまけに人の気持ちが分からないので不用意な発言は日常茶飯事だった。
しかしパニックや不安から周りの人に当たり散らしたり口汚く罵ったりする事がなく、不用意な発言もその度合いが”マックス”でない時は、割と<普通>だった。
<普通>の時には、穏やかに世間話をしたりお茶を飲んだりできた。
しかし、ひとたび発作が起きると「もののけ」となるのだ。
母の発作の様子は、何かの拍子でスイッチが入ると突然怒り出し、傍にいる者を言葉で攻撃するというものだった。
スイッチとなるのは、自分が思っていたのとは違う事が起こった時や、不安や焦りを感じた時などだ。
なんてことのない些細なことでイラつき、そのイライラを解消するために周りの者に当たり散らす。このいつ起こるかわからない狂気が、子どもにとっては恐ろしいのである。
平安時代の人が精神疾患を「もののけの仕業」と言ったのは言い得て妙だ。
母が精神疾患を抱えていたかどうかは分からないが(私は発達障害を疑っている)、それでも北の方と同様に「もののけ憑き」には変わりなかった。
愛があっても無くても
髭黒と北の方との間には何かしらの愛はあったと思う。
それでも髭黒は耐えられなかった。
同じように、私も毒母がまき散らす「毒」に耐えられなかった。
もののけの毒によって生じた傷が澱となって、私の心に積もっていった。
愛があろうとなかろうと、
髭黒も私も、北の方や母の「もののけ」に辟易していたのだ。
もののけが去った後その人がどれだけ「普通」だったとしても、突然現れる狂気を持った人を信頼し愛することは私にはできない。母のように自分の「もののけ憑き」を認めない人は尚更だ。
子供の頃に感じていた「母親に嫌われている」という感情は、たとえその原因が「もののけの仕業」だったと分かったとしても、決して消えることはない。
それは私がそういう性分だからかもしれないが、もしそうだとしたら、私たち親子は恐ろしく相性が悪いのだろう。
あの母を愛することは私には無理で、でも親子の関係を諦めきる事もできず、正常な時のことを思うと罪悪感もあり、そんな複雑な感情に長い間苦しんだ。
髭黒がそうしたように、思い切りが肝心だったのだろうと悔やんでいる。